但馬

當勝神社 前編

粟鹿神社の参拝を終え、そこから粟鹿の集落を少し奥に進む。 その先にあるのが、當勝(まさかつ)神社である。 當勝神社 この神社の祭神は、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)から生まれた、天照大御神の子の正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(まさかあかつか…

粟鹿神社

楽音寺の見学を終え、東に車を走らせる。次なる目的地は、朝来市山東町粟鹿にある但馬国一宮の粟鹿(あわが)神社である。 実は、但馬には一宮が二つある。もう一つは豊岡市出石町にある出石神社である。なぜ但馬に一宮が二つあるかは分からない。 粟鹿神社…

正覚山楽音寺

茶すり山古墳の見学を終え、次なる目的地、正覚山楽音寺に行く。 兵庫県朝来市山東町楽音寺にある真言宗の寺院である。 楽音寺 楽音寺の創建は、大同二年(807年)である。明賢上人が、紀州那智の滝を拝して念誦していると、深淵中に五色の光明が見えた。上…

茶すり山古墳

竹田城跡の見学を終え、次に朝来市和田山町筒江にある茶すり山古墳を訪れた。 茶すり山古墳 茶すり山古墳は、5世紀前半に築かれた円墳である。直径約90メートル、高さ約18メートルで、近畿地方最大の円墳である。現在は国指定史跡となっている。 この古墳が…

竹田城跡 後編

二の丸から本丸に近づく。天守台の上が、この山で最も高い場所である。 本丸と天守台 本丸の西側から天守台に上がることが出来る。 天守台 天守台に登り四囲を見渡すと、まず目につくのは、南二の丸と南千畳の全景である。 南二の丸、南千畳の全景 このアン…

竹田城跡 中編

法樹寺の北側から竹田城跡への登山道が始まる。 赤松家の陣屋跡である法樹寺のすぐ側から始まるこの登山道は、赤松広秀も登った道だろう。 竹田城跡登山口 竹田城跡への登山ルートは、3通りある。駅裏登山路、表米神社登山路、山城の郷駐車場からの登山路で…

竹田城跡 前編

6月20日で、私の住む兵庫県に出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が終わった。 そのため、4月24日以来控えていた史跡巡りを再開した。 今日訪れたのは、久々に但馬である。スイフトスポーツで播但連絡道路を北上し、和田山ICで下…

明延鉱山

兵庫県養父市大屋町明延(あけのべ)には、かつて明延鉱山と呼ばれる鉱山があった。 明延から採れた銅は、天平時代に東大寺の大仏を鋳造する際に奉献されたとも伝えられている。 明延鉱山は、平安時代初期の大同年間(806~810年)に採掘が始まったとされ、…

神子畑選鉱場跡 後編

神子畑選鉱場跡の前の広場には、通称明延一円電車と呼ばれた電車が展示されている。 明延一円電車 一円電車の客車 養父郡の明延鉱山と神子畑選鉱場との間を、鉱石と乗客を運ぶために走った電車である。 遊園地の乗り物の電車と大差ないような小さな電車であ…

神子畑選鉱場跡 前編

明治11年(1878年)に、現在の兵庫県朝来市佐嚢(さのう)の地で鉱山が発見された。神子畑(みこはた)鉱山である。神子畑鉱山からは、良質な銀が採掘された。 明治14年に神子畑鉱山が本格開鉱してから、採掘された銀を生野まで運ぶための馬車道が整備された…

雲頂山大明寺

生野銀山を出て、国道429号線を丹波方面に向けて走る。 生野ダムが堰き止めて出来た銀山湖の畔の道を、スイフトスポーツで疾走する。ダム湖沿いの曲がりくねったワインディングロードを、右へ左へとハンドルを切って進む。私は、ここを走って、漸くZC33Sの限…

生野銀山 その5

金香瀬坑道から出て、坑道の裏山に点在する露頭群を巡り歩くことにする。 露頭とは、地表に露出した鉱脈のことで、江戸時代までは、こうした露頭を掘り進んで鉱石を掘り出した。 金香瀬旧坑露頭群案内図 金香瀬坑口のすぐ側に不動の滝と呼ばれる滝が滾り落ち…

生野銀山 その4

昭和の鉱山の作業の様子を引き続き見学する。 江戸時代には鑿で手掘りしていた鉱山も、昭和の時代には削岩機、削孔機で掘り進めるようになった。 上向き削孔機を使用する作業員 坑道の岩盤が軟弱な箇所は、人為的に補強したが、その工法の一つである五枚合掌…

生野銀山 その3

生野銀山の坑道で現在公開されているのは、金香瀬坑道である。 金香瀬坑道入口と出口 写真左のトンネルの入口のようなものが金香瀬坑道の入口で、右側の橋の奥が坑道の出口である。 坑道出入り口の周囲は、岩壁を清冽な滝が流れ落ちており、心地好い空間であ…

生野銀山 その2

生野銀山の坑道入口手前に、鉱山資料館がある。 鉱山資料館 この資料館には、江戸時代の生野銀山での作業を再現した模型や、江戸時代、明治時代の鉱山関係の文書資料、鉱石、貨幣などが展示されている。 生野銀山からは、金、銀、銅、亜鉛、鉛、錫などが発掘…

生野銀山 その1

兵庫県朝来市生野町小野には、国指定史跡の生野銀山がある。 生野銀山 生野銀山は、大同二年(807年)に初めて発見されたと伝えられる。 元禄年間に成立した「銀山旧記」によれば、天文十一年(1542年)に、山名祐豊が生野銀山を開鉱し、古城山麓に生野城を…

生野の変

文久三年(1863年)10月11日、尊王攘夷派の元福岡藩士・平野国臣、長州藩士南八郎(本名河上弥市)らは、いわゆる七卿落ちで長州に落ち延びた公卿の澤宜嘉を総帥に迎え、倒幕のため但馬国生野の地で挙兵する。 翌12日、志士達は生野代官所を襲撃し、無血占拠…

口銀谷

私は、神戸市西区の太山寺を訪問して、播磨の史跡巡りを終えたが、これはまだ長い旅路の一歩に過ぎず、これから播磨に隣接する国々の旅が続く予定である。 播磨に隣接する国は、摂津、丹波、但馬、因幡、美作、備前、淡路の7カ国があるが、この内、備前、美…