生野ダムが堰き止めて出来た銀山湖の畔の道を、スイフトスポーツで疾走する。ダム湖沿いの曲がりくねったワインディングロードを、右へ左へとハンドルを切って進む。私は、ここを走って、漸くZC33Sの限界付近での挙動を掴めるようになった。
さて、そうやって黒川ダムの近くまでやってきた。
黒川ダムは、ロックフィル式のダムである。ロックフィル式ダムとは、岩石や土砂を積み上げて造られたダムのことだ。
黒川ダムの表面は、ごつごつした岩で覆われている。このダムが堰き止めた水で、黒川ダム湖が出来ている。膨大な質量のある建造物だ。
この黒川ダムのすぐ近くにあるのが、臨済宗妙心寺派の寺院、雲頂山大明寺である。地名で言えば、兵庫県朝来市生野町黒川にある。
大明寺は、正平二十二年(1367年)に、月庵禅師が開基した寺院である。月庵禅師は、日本全国を歩いて、各地に禅寺を開いた僧侶である。
月庵禅師は、黒川の地を訪れ、大明寺の西北の、今はダム湖の底に沈んでしまった、渓水が丸石を巡って流れる場所で、その丸石の上に日夜坐禅を組み、草庵を作った。
月庵禅師が坐禅したとされる坐禅石は、昭和46年に、ダム湖の底に沈むのを避けるため、大明寺の境内に移された。
当時、黒川の地には狼が出没して村人に恐れられていた。ある時、この丸石の上で坐禅をしていた月庵禅師の傍へ、口に魚の骨が刺さった老いた狼が寄って来た。禅師は狼の口に刺さった骨を抜いてやった。狼はお礼に稲穂を禅師に捧げた。その稲穂を植えると、黒川は豊作に見舞われるようになったという。
禅師は狼にこの地を去るよう諭した。以後黒川の地で狼による被害はなくなったという。
大明寺の近くの観光駐車場の脇に、月庵禅師と狼の銅像が設置されていた。何ともほほえましい逸事だ。
さて大明寺の山門を潜ると、目の前に茅葺の開山堂が聳えている。最近修復されたのか、実に美しい入母屋造りの茅葺屋根を持ったお堂であった。
この開山堂は、本堂も兼ねているようで、ご本尊の釈迦牟尼仏を祀っている。
堂内は静けさに包まれている。禅宗寺院らしく、華美な装飾はない。
月庵禅師に師事したのが、但馬国守護となった山名時熈(ときひろ)である。時熈は大明寺を手厚く保護した。
開山堂の奥には、月庵禅師と時熈の木像が奉安されている。
大明寺は、天文年中(1532~1554年)に祖堂を残して焼失する。その後荒れたままになっていたが、寛永年間(1624~1644年)に大愚禅師によって再興された。徳川家光に寺領を賜り、幕末まで寺院は存続出来た。
現在残る開山堂と庫裏などは、江戸時代の建物だろう。
境内には、昭和61年に、彫刻家北村西望が造った遺作の聖観音立像が祀られている。北村西望102歳の作だそうだ。北村西望は、長崎平和記念像や、国会議事堂内の板垣退助翁像の作者として著名である。
表面の箔が剥落し始めているが、見事な像である。同じく西望作の、広島の平和聖観音菩薩像に似ている。近代日本を代表する彫刻家が造った仏像が、こんな山奥の寺院にあるのである。
人が訪れるのが稀な山奥にも、由緒のある寺社があるものだ。大明寺を訪れて、何だか宝物を見つけた気分になった。