粟鹿神社の参拝を終え、そこから粟鹿の集落を少し奥に進む。
その先にあるのが、當勝(まさかつ)神社である。
この神社の祭神は、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)から生まれた、天照大御神の子の正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)である。
なぜこの神様がここに祀られているのか、由来はよく分からない。
當勝神社の創建は天平二年(720年)と言われている。
朱色の一の鳥居を潜って、森に覆われた境内に入っていく。境内には、縹渺とした空気が漂っている。
連続する鳥居を潜って行くと、目の前に随身門が見えてくる。
随身門は、切妻造、軒唐破風付の唐門で、唐門に中井権次一統の凝った彫刻が施されている。山東町指定文化財となっている。
今の當勝神社の拝殿と本殿は、幕末に建てられたものらしい。時代的には、中井権次一統七代目の中井権次橘正次の作であろう。この随身門も同時代に建てられたものだろう。
随身門の蟇股に当たるところに彫られている力士の像が面白い。
随身門の唐門を潜って上を見上げると、天井の下にも蟇股や手挟みに透かし彫りが施されている。
まことに中井権次一統が北近畿各地の寺社に施した微細な彫刻は、当地方の至宝である。
随身門を過ぎると、御神木が手前にあり、その奥に拝殿が見えてくる。
拝殿は、慶応四年(1868年)に建てられたものだそうだ。
拝殿の手前の狛犬が、すっとぼけた表情をしていた。
さて拝殿に近づくと、この建物に施された彫刻が尋常なものでないことがすぐに分かった。
拝殿は、唐破風の向拝が付いた入母屋造、銅板葺きの建物である。唐破風の上に小さな千鳥破風が付いていて、その下に狛犬の顔の彫刻が施されている。
そして唐破風の下の彫刻は、もうやりすぎだろうと言うほどの濃密な彫刻群である。
言葉を失う圧巻の作品だ。
空白を埋めるかのような、密度の濃い彫刻である。霊獣たちの目の後ろが赤く塗られているが、これが中井権次一統の彫刻の特徴である。
よく見ると、木目も彫刻の中に生かされていて、味を出している。
當勝神社は、兵庫県下でも知名度のあまりない神社で、観光客も少ない。こんな人気のない奥地でこんな贅沢な彫刻を見ると、自分だけの宝物を見つけたような気になる。