鳥取市 岩坪神社 高岡神社

 鳥取市上砂見の集落から西に行くと、岩坪の集落がある。

 岩坪集落の西奥に、土地の鎮守の岩坪神社がある。

岩坪神社

境内

 昨日の大和佐美命神社の記事で紹介したように、因幡地方の獅子舞は、麒麟獅子舞が主流である。

 だがこの岩坪神社には、麒麟獅子舞よりも古い神楽獅子舞が伝承されている。

 慶安三年(1650年)に鳥取城下の樗谿(おうちだに)に東照宮が建立されたころ、東照宮から権現堂古流三方舞という獅子舞の流儀が岩坪神社に伝えられた。

拝殿

本殿

 岩坪神社の獅子舞は、毎年秋の祭礼で奉納される。四本の新竹に注連縄を張った区画の中で、雌雄二頭の獅子、猩々、囃子方等が演じる神楽獅子舞である。

 「前の舞」「鈴の舞」「狂い獅子の舞」で構成されている。

 岩坪神社は、鳥取藩主池田家から、特別に池田家の家紋である揚羽蝶の神紋を使うことを許されたという。

本殿蟇股の揚羽蝶の彫刻

本殿前扉の揚羽蝶の神紋

 岩坪神社の獅子舞は、鳥取県指定無形民俗文化財となっている。

 岩坪神社の近くを小川が流れている。私が訪れた時は、静かな境内に小川のせせらぎの音が響いていた。

 岩坪神社から鳥取市国府町高岡にある高岡神社に向かった。

高岡神社一の鳥居

 高岡神社は、高岡の集落の外れの山中にある。

 この神社には、播磨国姫路の廣峯神社の祭神・素戔嗚尊の御分霊を祀っている。かつては牛頭天王と称していた。牛頭天王祇園精舎の守護神で、日本では素戔嗚尊に習合された。

 高岡神社は、元々は上野山字宝殿ヶ平(ほうでんがなる)に鎮座していたが、元亨二年(1322年)に現在地に遷座したという。

高岡神社

 高岡神社は因幡牛頭天王社中第一の社とされ、江戸時代には、牛馬の守護神として崇敬された。

 明治15年には、銅で鋳造した大銅臥牛が奉納されたが、大東亜戦争中の昭和18年に戦争資源として供出された。

 平成28年に、高岡神社に73年ぶりに大銅臥牛が復活し、境内に安置された。

平成28年に復活した大銅臥牛

 さて、この高岡神社には、鳥取県無形民俗文化財の「因幡の傘踊り」が伝承されている。

因幡の傘踊りの看板

 因幡の傘踊りの由来はこうである。

 江戸時代末期にこの地方が大旱魃になった年に、五郎作という老爺が、笠を持って雨乞をしたところ、数日後に雨が降り、大飢饉を免れることができた。

 五郎作は、その時の雨乞の疲れがもとで亡くなった。その霊を慰めるため、五郎作の初盆から、地元住民が笠を手に踊るようになった。

拝殿

 その後、明治29年頃、高岡集落の山本徳次郎が、昔から伝わる笠踊りを、冠笠から長柄の傘を用いたものに替え、剣舞の型を取り入れた新しい踊りを考案した。それが現在の傘踊りだという。

 一説によると、徳次郎が村の若者の素行を改善するために考案した踊りだという。

拝殿と本殿

本殿

本殿の彫刻

 確かに神社の祭礼は、地元のやんちゃな若者が支えていることが多い。実はやんちゃ者こそ、地元の伝統につながりを持ちたいと思っているのかも知れない。

 また高岡神社を取り巻く社叢は、高地のスダジイ林と低地のタブノキヤブツバキ林が混在するもので、特にヤブツバキの老樹が多いという。鳥取県天然記念物に指定されている。

本殿脇の御神木

高岡神社社叢

 日本の神社には、様々な祭礼が伝承されている。その多くは、地域の住民が地元の神様に五穀豊穣や大漁を願って奉納するものである。

 人間の生活は環境や天候に大きく左右される。自分たちを取り巻く自然に謙虚であることは、いつの時代にも必要なことであるように思う。