甑山城跡 鷺山古墳

 稲葉山の南側、袋川と美歎川が合流する地点の右岸側に、甑(こしき)を伏せたような形状の山がある。甑山である。

甑山

 甑山の名称の由来は、その山の形からではないようだ。

 古代にこの地を征した武内宿禰が、この山の上に甑を据えて、因幡平定の布石として祭祀をしたという伝説から来ているらしい。

 甑山の西側には墓地がある。墓地の駐車場に車をとめて、甑山に登ることにした。

甑山と墓地の駐車場

 駐車場の北側に、登山口がある。

登山道

 登山道に入り、しばらく歩くと、突き当りに案内表示がある。

 このT字路を右に行くと甑山、左に行くと後で紹介する鷺山古墳に行くことになる。

案内表示

 甑山には、かつて城があった。

 建武四年(1337年)には、八上郡の地頭で北朝側の伊田貞泰が甑山城に籠城して、南朝側と戦ったという。

 また天正元年(1573年)に因幡に侵攻した尼子経久と山中鹿之介は、甑山城に入り、鳥取城主の武田高信を破った。

 甑山は、標高約100メートルで、すぐに山頂に到達できる。城の防御機構らしきものはあまり目につかないが、土塁跡や空堀跡らしきものはあった。

土塁跡

空堀

 山頂には東屋があり、そこから南側の因幡国庁跡付近の景色が広がっていた。山頂は、甑山城の曲輪があった場所だろう。

山頂

甑山南側の眺望

 さて、甑山から下山し、鳥取県指定史跡の鷺山古墳に向かった。

 鷺山古墳までの遊歩道は整備されているが、途中土砂が流れて道が崩れている場所があった。何とかそこを乗り越えて先に進むと、古墳があった。

鷺山古墳

 鷺山古墳は、6世紀に築造されたとされる直径約10メートルの円墳である。

 円墳には、埋葬施設として、横穴式石室があるが、その入り口付近は破壊されている。

 円墳の周辺には、葺石と見られる石が散乱していた。

散乱する葺石

 この古墳の特徴は、石室内の石壁に刻まれた線刻画である。

石室入口

石室

 各石に様々な線刻画が描かれているが、特筆すべきは、石室奥の中央の石一面に描かれた、体長1.2メートルの魚の線刻画である。

魚の線刻画

 上の写真の左側が頭部で、右側が尾である。目、口、鰓、鰭が詳しく描かれている。

魚の頭部

魚の腹部と鰭

 この巨大な魚の線刻画は、鮭を描いたものとも言われているが、中国の伝説上の魚である鯤(こん)を描いたものという説もある。

 以前紹介した梶山古墳の石室にも、鯤が描かれていると言われている。

 この石室の中では、この魚の画が中心にある。埋葬された死者のために描かれたものだろうが、作者の意図を知りたいものだ。

 石室内には、他に鳥や船の線刻画が描かれているらしいが、私には抽象的な模様にしか見えなかった。

線刻画

 鷺山古墳の魚の線刻画は、現地で見たら「ああ、魚が描いてある」と分かるほど明瞭に描いてあった。

 古代人が描いたものを現代になっても認識できるのは、何故だか嬉しいことである。

 現在生成AIが話題になっている。AIが、ネット上で公開されている人間が描いた画像を学習して、人間が与えたテーマに沿ったイラストを描いたりしている。人はそれを人類への脅威と捉え始めた。

 だが、どんなにAIが進化しても、石の上に線刻画を描くことはないだろう。例え技術的に描くことが可能になったとしても、AIには石の上に線刻画を描く意味が分からないだろう。

 そう考えると、どんなに将来AIや文明が進歩しても、古墳の石室に描かれた線刻画は、歴史上のある時代を物語る、貴重な遺産であり続けることだろう。