システィーナ・ホールのミケランジェロの作品を鑑賞した後、エル・グレコの祭壇衝立画を復元したものが展示されている、エル・グレコの部屋に行った。
エル・グレコ(1541~1614)は、クレタ島出身で、イタリアを経てスペインに渡り、聖人画を多く描いた画家である。
日本の徳川家康とほぼ同時代人である。
エル・グレコは、1596年に、宮廷貴族の子女で、貞潔な淑女であったドーニャ・マリア・デ・アラゴンから、聖アウグスティヌス会の神学校エンカルナシオン学院に収めるための祭壇画の発注を受けた。
そして、1600年に祭壇衝立を完成させた。
この祭壇衝立は、発注者の名前を冠して、ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院祭壇衝立と呼ばれた。
だがこの祭壇衝立は、19世紀初頭のナポレオン戦争により掠奪、破壊されて、構成していた絵画群は四散してしまった。
大塚国際美術館では、この祭壇衝立の完成当時の姿を、美術史家・神吉敬三の考証から復元した。
マドリード・プラド美術館にある5枚のエル・グレコの作品と、ブカレスト・ルーマニア国立美術館にある1枚の作品を、復元した衝立に嵌めて完成させた。
中央は「受胎告知」、左下は「羊飼いの礼拝」、右下は「キリストの洗礼」、上段中央は「キリストの磔刑」、左上は「キリストの復活」、右上は「聖霊降臨」、である。
以上の作品で、キリストの生涯と復活を表現したものとされている。
「羊飼いの礼拝」がルーマニア国立美術館収蔵作品で、それ以外はプラド美術館収蔵作品である。
中央の「受胎告知」は、最も重要な作品である。神の恩恵の光が鳩から溢れて聖母マリアに宿る。
聖霊の力で、人類の贖罪のために、キリストがマリアの胎内に受胎したことを表している。
「キリストの磔刑」は、人類の罪を贖うため、キリストが十字架に磔になる場面を描いている。
それぞれのオリジナル作品は、プラド美術館とルーマニア国立美術館で観ることが出来るが、それぞれの作品を一堂に集めて、ナポレオン軍に破壊された祭壇衝立に嵌め込んで原寸大で復元したのは、世界でも大塚国際美術館だけである。
次に鑑賞したのは、聖マルタン聖堂の壁画を復元したものである。
聖マルタン聖堂は、パリの南約300キロメートルにあるノアン=ヴィック村にある。
397年に没した聖マルティヌスに捧げられた聖堂であったが、その後放置されて荒廃し、フランス革命期には、穀物小屋として使用されていた。
1849年に壁画の一部が発見されたことから、聖堂として修復された。
この壁画は、ロマネスク様式で描かれており、12世紀後半の作品であるという。
壁画には、受胎告知から十字架降下に至るキリスト受難の物語が描かれている。
使徒の間に坐する「栄光のキリスト」の画は、後の「最後の晩餐」を思わせるものである。
それにしても、今までの展示を観ただけで、かつてのヨーロッパがキリスト教一色に塗られていたことが分かる。
人間は罪深い存在で、キリストの贖罪によってかろうじて生存が許されているというような、キリスト教の世界観は、どうも暗すぎて私の肌には合わない。
中世の宗教の桎梏から抜け出した近代ヨーロッパ絵画の面白さは、後々紹介することが出来るだろう。
次に鑑賞したのは、聖ニコラオス・オルファノス聖堂壁画である。
聖ニコラオス・オルファノス聖堂は、かつてマケドニアの首都だったテサロニキに14世紀に建てられた聖堂である。
14世紀のマケドニアは、東ローマ帝国の後裔国家であるビザンツ帝国の領土であった。
キリスト教会は、11世紀にローマ・カトリックとギリシア正教の2つに分裂した。
ギリシア正教では、キリストや聖人、天使、聖書の各場面を描いたイコン(聖像)を多く用いている。
ビザンツ帝国滅亡後、ギリシア正教は、モスクワにも伝えられ、ロシア正教になった。
イコンは、ギリシアやロシアの家庭にも飾られていることがある。
私は正教会の文化圏内の家庭に飾られているイコンを見ると、日本やモンゴル、チベットなどで密教の仏画を家に祀っているのとよく似ていると感じる。
不思議と親近感を覚える。