マルキン醤油記念館 前編

 内海八幡神社の参拝を終えて、県道28号線を南下し、小豆島町苗羽(のうま)にあるマルキン醤油記念館を訪れた。

マルキン醬油記念館

 マルキン醤油は、明治40年に創業した醬油製造会社である。

 マルキン醤油記念館は、マルキン醤油が大正年間に建設した醤油蔵を改装して、昔の醤油製造工程の説明資料や諸道具を展示する施設として、創業80年の昭和62年に開館した。

 記念館の前には、これも大正時代に建てられた醤油の醸造蔵がある。

醸造

 小豆島の醤油造りの歴史は、文禄年間(1592~1595年)に始まる。

 大坂城築城用の石材を採石するために、紀州湯浅から小豆島にやってきた採石部隊が、湯浅で作られた醤(ひしお)を現地に伝えた。

 その後、島民が湯浅を訪れて醤油造りを学び、小豆島に戻って醤油の醸造を始めた。

マルキン醤油の商標

 小豆島は古くから塩の産地で、海上交通の要衝でもあったため、小麦、大豆などの醤油の原料となる物資も集まりやすかった。

 最盛期の明治初頭には、島内に約400の醤油蔵があったという。

 明治40年に島の有力醸造家が集まり、丸金醤油を設立、地元香川県金刀比羅宮の紋章から丸金の商標が生まれた。

記念館内部

 入館料は500円である。受付で入館料を払うと、お土産の醤油を貰えた。

 私が住む播州は、淡口醬油の文化圏だが、小豆島は濃口醬油の産地である。

 妻は、若いころを香川県岡山県で過ごしたが、持って帰ったマルキン醤油を使って作った煮魚を味見して、「これが西日本の醤油の味だ」と言っていた。

マルキン醤油の製品

 醤油の原材料は小麦と大豆、塩水である。

 醤油造りは、先ず小麦を選別して炒るところから始まる。

小麦を選り分ける唐箕

 唐箕(とうみ)を使って、小麦から籾殻や塵を取り除く。

 次に焙烙(ほうろく)という大鍋で小麦を炒るのである。

焙烙

 良い醤油を作るためには、小麦を上手く炒らなければならない。火力の調整が重要であったようだ。

 次に、焙烙で炒った小麦を石臼で細かく割った。

石臼

 小麦を炒る作業と並行して行われるのが、大豆を蒸す作業である。良い醤油を作るには、大豆をむらなく蒸さなければならない。

大豆を蒸す甑

 昔は釜の上に大豆を入れた高さ1メートルの甑を載せて、釜から上がる湯の蒸気で大豆を蒸した。

 現代では、大豆を蒸す作業は自動制御されているが、昔は釜の湯を沸かす火力調整なども、職人の経験と勘で行っていたのだろう。

 炒った小麦と蒸した大豆を混ぜてそこに種麹を加え、よくかき混ぜて莚の上に広げた。

再現された麹室

麹室の中の莚

 莚の上に広げられた小麦、大豆、種麹を混ぜ合わせたものは、麹室で2日間寝かせられる。麹菌が小麦、大豆を覆って麹になった。

 莚を使った麹造りは、小豆島特有のものであるらしい。

 麹室の中は麹菌が育ちよいように、温度と湿度を調節できるように作られている。

麹室の断面図

 出来上がった麹は食塩水と混ぜられて諸味(もろみ)になる。塩の濃度によって、発酵が上手くいくかどうかが決まる。ここの調整も難しい。

 出来上がった諸味は、大桶に入れられ、蔵の中で1年間自然の力に委ねられ、熟成される。

諸味蔵の桶

 大桶の中で、麹菌の作った酵素の働きにより、大豆や小麦が分解され、アミノ酸や糖分になる。これが醤油の旨味や甘味になる。

 蔵の大桶には酵母や乳酸菌が潜んでいて、分解されてできた糖分を栄養として発酵を始める。

 発酵によって乳酸やアルコールが生成され、醤油のコクや香りが生まれる。

 1年間熟成された諸味は、袋詰めされて棒締機という器具で圧搾され、生醤油が絞り出される。

棒締機

圧搾に使われた錘

絞り出された生醤油を受ける亀口

 絞り出された生醤油を火入釜に入て熱し、麹菌の活動を止める。

 この火入加減の調整で、醤油の色、味、香りが整えられる。

火入釜

 火入の後、醤油中のたんぱく質が固まっておりになる。

 おりを取るため、醤油を澄まし桶に入れておりを沈殿させる。

澄まし桶

 おりを除かれた醤油は、樽に入れられて出荷された。

 樽から瓶に入れられて、醤油は各家庭に届いた。

陶器の醤油瓶

 こうして見ると、醤油の製造は、細心の注意が必要な作業である。

 普段何気なく使っている醤油が出来るまで、これほどの作業工程があることを知ると、醤油の有難味と旨味が増すような気がする。