中山の集落を抜けて、中山の千枚田の連なる山の急坂をスクーターで登っていく。
山の中腹に建つ真言宗の寺院、湯船山蓮華寺の門前に至った。この寺は、海抜245メートルに位置する。

蓮華寺は、暦応年間(1338~1342年)に佐々木信胤という武将が開基したと伝えられている。
信胤は、源平合戦において、備前国の藤戸合戦で活躍した佐々木盛綱の子孫である。
佐々木盛綱は、藤戸合戦でただ一騎、藤戸の浦を馬に乗って渡り、平家の陣に突入した功により、児島の地を所領として賜った。

信胤の代になって、南北朝の争乱が起こった。信胤は南朝方に与し、児島から海を渡って小豆島に上陸し、小豆島最高峰の星が城山に城を築いた。
そして、この地に千手千眼観音を祀り、阿弥陀仏を本地仏とする熊野証誠権現を勧請したという。
寺域に入ってすぐ鐘楼があり、そこに小豆島で2番目に古い梵鐘が掛けられている。

この梵鐘は、寛文九年(1669年)に、中山村の有力者八木家と村民によって奉納されたものである。

境内に入ると、ビャクシンや杉、楠の大木が並んでいた、湯船山の社叢は、香川県指定自然記念物である。




樹々の生命力に圧倒される思いだ。人間の史跡など、樹木の足下にも及ばない気がする。


最近私は、幹の表面が渦巻き状になっているビャクシン(イブキ)のことが好きになって来た。

本堂には、千手千眼観音を祀っている。佐々木信胤が開基した時に安置した仏である。





本堂前に地蔵菩薩立像が二体ある。向かって左側の大きい像は、右手に錫杖を持っているが。錫杖の先に十字がある。画像を拡大すればお分かり頂けるだろう。

小豆島は、天正十三年(1585年)にキリシタン大名小西行長の領地となり、島にキリスト教が伝来した。
その後、秀吉や徳川幕府はキリスト教を禁教とした。この地蔵像は、島の隠れキリシタンがキリストへの信仰を密かに表すために建立したものかも知れない。
地蔵像の前には、杉の巨木があるが、幹に洞が開いている。


洞を覗くと地蔵がある。洞の前に、杉中矢久與家地蔵という標柱が建っている。

この寺には、佐々木信胤の時代から現代に至るまでの島民の歴史が息づいているように感じられる。
寺域を領するものは、不思議な静寂である。