湯船山蓮華寺 後編

 蓮華寺境内の西側には、熊野三所権現が祀られている。

熊野三所権現の鳥居

 熊野権現の信仰が高まったのは平安時代後期から鎌倉時代にかけてである。熊野権現阿弥陀如来垂迹したものとされ、紀州熊野はこの世の浄土と言われて、宮廷の皇族、貴族の間で熊野詣が流行した。

 鎌倉時代には、一遍上人熊野権現に参詣し、夢の中で熊野権現から南無阿弥陀仏の名号を唱える意味を教わり、その後の時衆隆盛の基となった。

熊野三所権現

熊野三所権現の扁額

 室町時代中期に蓮如浄土真宗の教勢を拡大するまでは、念仏と言えば時衆(時宗は江戸時代になってからの名称)であった。信不信、貴賤を問わず南無阿弥陀仏を唱えれば往生できるとする時衆は、庶民の宗教として、鎌倉時代から室町時代初期には、全国的に爆発的に流行していた。

境内の名号塔

 時衆にとって、熊野権現阿弥陀如来と同一であった。時衆の念仏聖たちが、熊野信仰を庶民階層にも広げていった。

熊野三所権現脇の三猿の石塔

 蓮華寺熊野三所権現は、佐々木信胤が熊野からこの地に熊野権現を勧請したものであろう。

 この熊野三所権現から、日本の百名水の一つに数えられる、湯船の水が湧き出ている。

湯船の水

 蓮華寺には、寛文八年(1668年)に衣斐氏蓋子という人物が書いたとされる湯船山縁起という文書が伝わっている。

 それによると、寛文八年に小豆島を例年にない旱魃が襲い、中山の村民は水不足に苦しんだが、不思議とこの湯船山の湧き水だけは常より水量を増して、おかげで村民は救われたのだという。

湯船の水

 蓮華寺の梵鐘は、旱魃の翌年の寛文九年(1669年)に奉納されている。村民たちが、湯船の水に感謝して奉納したのだろう。

 湯船山の水は今も涸れることなく、中山の千枚田の農業用水になっている。

水の神様、白龍大

 蓮華寺からは、中山の千枚田を見下ろすことが出来る。

中山の千枚田

 今よりも灌漑設備が整っていなかった時代に農業をしていた昔の日本人にとって、水というものがいかに有難いものであったかは、水がある生活が当たり前になっている現代日本人の想像の外にある。

 神道とは何かを考えると、結局のところ自然(神々)に感謝の念を持つことと、明るく清く生きることに行き着くと思う。

 当たり前と思っていることに感謝を捧げるのが、昔の日本人に近づく道であると思われる。