本丸の南側にあるのが二の丸跡である。
下津井城跡の中では、この二の丸跡からの眺めが一番いい。そのためか、東屋もある。
ここから下津井の町並みや、瀬戸内海の眺めが堪能できる。
二の丸跡の南側の切岸の下半分は、石垣で覆われている。
石垣の南側にも結構広い曲輪がある。ここを西に行くと、昨日紹介した大手跡に至る。
二の丸跡から東に歩くと、北側に土塁が延びる通路がある。
通路を過ぎると三の丸跡がある。三の丸跡は広い曲輪である。
三の丸跡の南側には、下津井の町に見せるように石垣が組まれている。
丹波の黒井城跡のように、住民に城の威厳を見せるための「見せる」石垣だろう。
隙間なく組まれた石垣である。岡山県は地震が少ない地域である。400年近い年月が経っても、ほとんど崩れていない。見事な石垣だ。
三の丸跡の東側にも石垣があるが、こちらは南側の石垣と比べて隙間もあり、少し崩れた様子だ。
「見せる石垣」の方を気合を入れて作ったことが窺われる。
三の丸跡と中の丸跡の間には、掘割がある。人工的に掘って作られた谷間である。城の防御機構の一つである。
この掘割跡は、今では登山道になっている。しかしこれだけの掘割を掘削したら、膨大な土砂が排出されたことだろう。
掘割を越えて東に進むと中の丸跡がある。ここも広い曲輪である。
下津井城が現役のころに、下津井の沖を通る船からこの城を眺めたら、天守を有し、その前面に石垣を巡らした、壮大な城に見えたことだろう。
だが今の下津井の人々からすれば、先祖代々約400年親しんできた眺めである。
住民に威厳を示すために石垣が組まれた城だが、今や地域に完全に溶け込んだ、親しみが持てる城跡になっている。