資料館には、たつの市内の遺跡から発掘された史料や、脇坂家の遺物などが展示されている。
大体、どこの歴史資料館に行っても、展示物のパターンは決まっている。石器に始まって、縄文式土器、弥生式土器と続き、古墳時代のコーナーに入って須恵器や埴輪が展示される。古墳時代になると、大陸から馬が入ってきて、騎馬のための道具が作られるようになる。青銅や金を使った精巧な馬具が出現する。
飛鳥・白鳳時代になると、大陸から仏教が伝わり、寺院が作られるようになった。それまで日本の建物は茅葺だったが、瓦を葺く寺院建築の技法が伝わった。瓦の出土品が展示されるようになる。
奈良時代のコーナーになって、ようやく竹簡や木簡といった文字が書かれた史料が現れる。
こう書くと、学校の歴史の授業の副読本として使った資料集を読んでいるようで、興味のない人にはさっぱり面白くないだろう。
しかし、文字の残っていない時代は、発掘される「物」でしかその時代を想像することが出来ない。想像の余地が最も残されている時代である。物の移り変わりを眺めるだけでも、その時代なりの大きな技術革新があったのだなと感じる。
龍野歴史文化資料館には、脇坂安治公が賤ケ岳の合戦で使った、十文字槍が展示されている。
数多くの激戦を乗り越えた槍と思うと、鬼気迫る何かを感じる。
脇坂家が代々大切に伝えたものだろう。こんな名宝が、さらりと展示されているのがまた渋い。
さて、資料館から出て龍野城から町に下りると、龍野が生んだ詩人三木露風の生家がある。
更に歩くと、龍野小学校がある。このあたりの街並みは、三木露風生家のように、白壁が多いが、龍野小学校も街並みに溶け込むような白壁に囲まれている。
龍野小学校のプールは、「水練場」と名付けられている。こんな古風な環境で学べる生徒がうらやましい。
さて、次の目的地、うすくち龍野醤油資料館へ向かって歩く。途中如来寺周辺の景色を写真に撮る。ここは、龍野の観光案内によく紹介される場所だ。
左側は、カネヰ醤油の醤油蔵である。
うすくち醤油は、龍野の名産の一つである。天正年間(1580年代)から、龍野では盛んに醤油が作られるようになった。
今でも、たつの市では、ヒガシマル醤油がうすくち醤油を生産している。
うすくち龍野醤油資料館は、かつてヒガシマル醤油の本社だった建物である。
この建物は、国登録有形文化財である。石造りの洋館だが、白壁と黒い焼き板の街並みともよく合う。
入館料は、何と10円である。「ご縁の重なる重縁」という意味で、昔から10円に固定されている。
資料館には、昭和初期まで実際に使っていた、醤油づくりの道具類が展示してある。
私は、毎日醤油のお世話になっているが、昔は本当に手間をかけて醤油を作っていたことがわかる。毎日使う醤油と、それを作る人たちに、思わず「ありがとう」と言いたくなる。
最初にブログを始めた時は、自動車のことをもっと書くようになるかなと思ったが、いざ書き始めてみると、史跡のことで手いっぱいになる。
というよりは、今のところ素晴らしい景色のドライブロードを通ることもないので、愛車のことを書く材料が少ないのである。
しかし、我がスイフトスポーツは、市街地を走っていても、踏むとすぐトルクが沸き上がって、羽が生えたように進んでいく。乗るたびに「いい車だなあ」と思う。
いずれ、車がメインの記事を書く時が来るだろう。