北条古墳の見学を終え、国道173号線を北上し、兵庫県丹波篠山市福井にある櫛石窓(くしいわまど)神社を訪れた。
平安時代に編纂された「延喜式」で、丹波で唯一名神大社に列せられている古社である。
櫛石窓神社の祭神は、櫛石窓命、豊石窓命の二柱である。
この二柱の神は、天照大神の岩戸隠れの際に、岩戸の御門を守った神様である。
当社には、木造櫛石窓命坐像、木造豊石窓命坐像、木造大宮比売命坐像の神像がある。
平安時代中期から末期にかけて、仏像の影響を受けて作られた神像である。これらの神像は、国指定重要文化財である。
雨が降りしきる中、境内を歩いた。二の鳥居の向こうには、新しく植えられた杉の林がある。
細い幹の、若い杉の林が、神秘的な雰囲気を出している。この中の何本かが、いずれ巨木に育ち、神木とされるのだろう。そのころの櫛石窓神社の境内の様子は、今とは少し違うものになっているだろう。
また拝殿前には丈の高い巨木がある。漂う靄が、木々の間から漏れる日を浴びて輝いている。厳かな空気が流れていた。
拝殿は割合新しい建物である。拝殿の奥に本殿があるが、本殿のある敷地は塀で囲まれていて入ることが出来ない。
本殿の背後にある神山の山頂には磐座がある。太古に櫛石窓命と豊石窓命が降臨した霊地とされ、今でも立ち入ることが出来ない禁足地となっている。
境内に祀られている火雷大明神は、火や雷の神様で、災難除けの神様として崇められている。毎年3月11日の祭礼には、多くの参拝者が訪れるという。
しめやかに降る雨の中、私も火雷大明神に手を合わせた。
この大日堂には、智拳印を結んだ金剛界大日如来坐像が祀られている。
平安時代後期の作とされ、寄木造で内刳りと漆箔が施された像である。兵庫県指定文化財となっている。
かつて、丹波の御嶽、小金ヶ岳、西ヶ岳は、修験道の聖地であった。大岳寺という寺院が開かれ、三嶽修験と呼ばれていた。
三嶽修験は、中世には吉野の大峯山を凌ぐ繁栄を見せていた。これに危機を覚えた大峯山は、三嶽側に大峯山への参拝を命じた。
しかし三嶽側がこれに応じなかったため、文明十四年(1482年)、大峯山の僧兵が三嶽を襲い、大岳寺を焼き払った。ここに三嶽修験は滅んだ。
大日堂の大日如来坐像は、かつては三嶽修験の修行地の一つ、八ヶ尾山大日尾に祀られていたものである。
三嶽修験の滅亡と共に、像は麓の小原に移され、ここで祀られることになった。500年はここで祀られていることになる。
大日堂の前には、左右に雌雄一対のイチョウの古木がある。小原の大銀杏と呼ばれ、丹波篠山市指定文化財となっている。
樹齢は約250~300年で、樹勢の盛んな巨木である。銀杏の生命力には、畏敬の念を覚える。
それにしても、山岳修行を通じて神通力を得、その神通力を用いて衆生を救おうという修験道が、勢力争いのためにお互い殺し合いをするというのは、いかにも道を踏み外している。
兵庫県にかつてあった修験道の一大聖地が滅んだのは残念だが、そこで祀られていた大日如来坐像が、今も山麓で祀られ、僅かながらかつての三嶽修験の余風を感じさせてくれている。
かつての修験者たちの念が、まだこの辺りに漂っているように感じた。