黒井城跡から下山し、丹波市春日町野村にある春日神社に赴いた。
春日神社の創建年代は、はっきり分かっていない。
古くからこの辺りは、大和国の春日大社の荘園だった。春日大社から分霊を勧請して建てられたようだ。
御祭神は、武甕槌(たけみかづち)命、経津主(ふつぬし)命、天児屋根(あめのこやね)命、比売神の四神で、江戸時代までは四柱合わせて春日大明神と呼ばれていた。
春日神社は、春日部郷、船城郷の総社として尊崇されていたが、天正三年(1575年)から天正七年(1579年)にかけての明智光秀の黒井城攻略戦の際に社殿が焼けてしまった。
今の本殿は、正保年間(1644~1648年)に再建されたものである。
本殿は、幅五間(正面の柱と柱の間が5つある)の流造(屋根が前方にカーブしながら伸びて向拝になっている造り)という珍しい造りで、兵庫県下の神社建築では唯一の例であるらしい。
それにしても、これ位の規模の神社で、拝殿がなくいきなり本殿があるというのも珍しい。
ところで、この本殿の内陣は、一間ごとに間仕切りしているそうなので、本殿内には五室あることになる。
となると、御祭神の春日四座以外にもう一座神様が祀られていることになる。その神様の名は何とおっしゃるのだろう。
さて、境内には、福の神であるえびすさんと大黒さんを祀る社があった。
恵比須さんは、神道上は、伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた蛭子命とされているが、元々は漁民が信仰していた、海の向こうから来る豊漁を齎す神様だったようだ。
今では、鯛を脇に抱えて釣竿を持つ姿で七福神の一柱になっている。
大黒さんは、インドのシヴァ神が漢訳された大黒天のことで、密教では仏法を守る神様になった。
日本に渡来して、音が通ずる大国主命と習合され、米俵の上に立ち、打ち出の小槌を持つ姿で七福神の一柱になった。
日本神話の中での位置づけでは、この社には蛭子命と大国主命が祀られていることになるが、同時に日本の民間信仰である七福神の中の、恵比寿さんと大黒さんが祀られていることになる。
七福神信仰は、真言密教が取り入れたため、密教寺院でも七福神は祀られている。
明治の神仏分離令によって、神道と仏教は分離された。それまで日本神話に関係ない神様も神社に祀られていたが、神仏分離令により、仏教臭のある神様や民間信仰の中の神様は神社から排除され、各地の神社の祭神は、記紀神話の神様に整理された。
だがこの社に掲げられた恵比寿さんと大黒さんの福々しいお面を見ていると、そんな細かな区別は大したことではないと思えてくる。