錦海湾 若宮八幡宮

 虫明から、岡山ブルーラインという自動車専用道路に入る。この道は、備前市から岡山市までを結ぶバイパスのようなもので、かつては有料道路だったが、今は全線無料である。

 ブルーラインという名称から、この道路が海沿いを通っているものと思われがちだが、行程の大半は山中や平野部を通っている。

 しかし、快適なドライブ路である。思わずZC33Sに鞭を入れる。

 岡山ブルーラインの一本松SAの展望所から南を見ると、錦海湾を一望することが出来る。

 錦海湾は、岡山県瀬戸内市にある湾であるが、1950年代に大半が干拓され、塩田となった。

 現在は、錦海湾干拓地での塩田事業は行われておらず、瀬戸内市によりメガソーラーが設置され、自然エネルギーを生み出している。日本最大級のメガソーラーである。

f:id:sogensyooku:20200113201616j:plain

錦海湾(東側)

f:id:sogensyooku:20200113201701j:plain

錦海湾(西側)

 「錦海湾(東側)」の写真のように、堤防で海が堰き止められ、内部が干拓されている。塩田に使用されていた干拓地なので、農地には出来ない。

 「錦海湾(西側)」の写真の真ん中のやや右に、小さな丘が見えるが、ここは錦海湾がまだ海だったころには島だった大島である。

f:id:sogensyooku:20200113202530j:plain

大島

 大島の周囲も、メガソーラーで覆われている。写真のコンテナの間から、大島に登って行くことが出来た。

 大島の丘上には、小さな神社や公園があり、その隣に、この地域出身の実業家・津田資郎を称えるオベリスク型の石碑があった。

f:id:sogensyooku:20200113202911j:plain

津田資郎の石碑

 津田資郎は、明治16年に、現岡山県瀬戸内市邑久町尻海(しりみ)に生まれた。岡山税務署長を務めた父の仕事の関係で、岡山市に転居し、岡山中学校に入学した。岡山中学校では英語を習得した。

 津田は、父が病気で退職すると、岡山中学校を中退し、大阪の貿易会社に入社する。津田は語学の習得に非凡な才能を持っており、英語のみならず、中国に渡って中国語をも習得し、中国の商法を学んだ。

 日露戦争の勃発によって中国から帰国した津田は、神戸の佐藤勇太郎商店に入社した。語学の才を買われて貿易船の事務長となり、世界中を航海し、人脈を築く。

 その後、神戸で戸田商店、東和汽船株式会社を設立し、貿易事業を始める。

 津田の会社は、第一次世界大戦の影響でヨーロッパ各社が撤退したアジア市場に進出し、大成功を収めた。その後も銀行や商社を次々と設立した。また津田教育財団を設立し、岡山市の関西中学校(現関西高校)を援助した。

 そんな津田も、中耳炎により、大正11年に40歳で亡くなった。大正14年に、津田を顕彰するこの石碑が、地元に建てられた。

 津田が40年の短い生涯で成し遂げたことの大きさに圧倒されるばかりだ。 

 津田の地元である尻海の集落にあるのが、若宮八幡宮である。

f:id:sogensyooku:20200113204825j:plain

若宮八幡宮

 若宮八幡宮の拝殿の前には、二基一対の、南薩・琉球様式の石灯篭がある。瀬戸内市指定文化財である。

f:id:sogensyooku:20200113205213j:plain

若宮八幡宮拝殿

 この石灯篭は、台脚の刻銘から、安永七年(1778年)に、尻海出身の商人、薩摩屋藤太夫が寄進したものであることが分かっている。

 おそらく薩摩屋藤太夫は、交易を通じて、中国と交流のある琉球文化に接触することが多かったのだろう。

 なのでこのような石灯篭を寄進したものと思われる。

f:id:sogensyooku:20200113205811j:plain

若宮八幡宮石灯篭

 若宮八幡宮の石灯篭からは、異文化の香りがするが、本殿は日本最古の神社建築様式である神明造である。

f:id:sogensyooku:20200113210156j:plain

神明造の本殿

 神明造は、弥生時代穀物倉庫である高床式倉庫に起源を持つ建築様式である。しかしこの本殿は、まだ木が新しいので、最近建て直されたものであろう。

 また、若宮八幡宮には、寛政四年(1792年)に、秋田藩御用の廻船問屋平野屋らが寄進した欧風絵馬がある。岡山県指定文化財である。欧風絵馬は、現在は岡山県立博物館に寄託されている。

 拝殿に、欧風絵馬に関する冊子が置いてあった。

f:id:sogensyooku:20200113210732j:plain

f:id:sogensyooku:20200113210848j:plain

 躍動感あふれる華麗な絵馬である。実物を拝観したいものだ。

 ところで、若宮八幡宮の隣に建つ神田稲荷神社の拝殿が、唐破風の上に望楼がある特異な建物だった。

f:id:sogensyooku:20200113211057j:plain

神田稲荷神社

 この望楼が何のためにあるのかは、考えてみてもよくわからない。ひょっとしたら、錦海湾が埋め立てられる前に、集落の目の前に迫っていた海を眺めるために設置されたものかも知れない。また拝殿前には備前焼の狐の狛犬があった。

f:id:sogensyooku:20200113211336j:plain

備前焼の狐

 岡山県には、備前焼狛犬を据える神社が多数あるが、狐を見たのは初めてである。

 錦海湾が干拓されるまで、尻海は海に面した港町だったのだろう。集落には、海と貿易を彷彿とさせる遺物が多く残されている。

 現代においても、海上輸送は最もコストのかからない輸送手段である。海に接した国は、それだけで経済的発展の条件を備えている。

 海に囲まれ、良港に恵まれた我が国は、海から数多くの富を得てきた。

 勇敢にも航海の世界に身を投じて、我が国の発展に貢献した先人達に敬意を表したい。