宗忠神社から西に500メートルほど行った、岡山市北区今4丁目にあるのが、今村宮(いまむらぐう)である。
今村宮の起源は、元弘三年(1333年)にこの地に創建された今村八幡宮である。
戦国時代に宇喜多直家が岡山城を拡張するに際し、内山下(うちさんげ)榎馬場にあった三社明神を遷座し、今村八幡宮に合祀した。
合祀された当初は、三社八幡宮と称していたが、いつしか今村宮と称されるようになった。
東側に向いた鳥居から拝殿まで一直線に参道が伸びている。一の鳥居、二の鳥居を過ぎ、中門と随身門を潜ると拝殿の前に至る。
今村宮の祭神は、天照大神、素戔嗚尊、八幡大神、春日大神の四柱である。八幡大神を除く三柱が、三社明神に祀られていた神様であろう。
三社明神が岡山城下に祀られていた関係で、今でも今村宮の氏子には、旧城下町の商家が多いという。
この神社で立派なのは本殿である。元和九年(1623年)に再建された本殿で、桃山時代の建築様式をよく残しているという。
本殿は、桁行三間、梁間二間の三間社流造で、檜皮葺の屋根を持つ。
虹梁の彫刻が見事である。
内部は、前一間が畳敷きの外陣で、内陣には黒漆塗の壇をしつらえ、三つに区切った神座を設けているという。
神座の板戸や羽目板には、天人、獅子、獏などの金碧画を描き、虹梁、長押には彩色を施して、華麗に装飾しているという。
本殿の裏には、木野山神社がある。
木野山神社は、山の神・大山祇命を祀る神社である。岡山県高梁市にある木野山神社からここに勧請されたのだろう。
高梁市にある木野山神社の末社には、高靇神(たかおかみ)・闇靇神(くらおかみ)が祀られているが、その「おかみ」の音から、いつしか木野山神社の神使は狼とされるようになった。木野山神社は狼信仰の社でもある。
日本の山からは狼がいなくなってしまったが、昔は日本の山の生態系の頂点に狼がいた。狼は、昔の日本人からすれば、畏れ敬うべき動物だったろう。その狼ももういない。
現代人は、ついつい自然界に畏れを抱くことを忘れがちである。
我々がその中で悩みながら生きている人間社会の上に、畏れ敬うべき世界があると思えば、人間社会の悩みを多少なりとも小さく感じることが出来るだろう。
自然界を畏れ敬うことは、人間の精神衛生上、大切なことのように感じる。