兵庫県芦屋市伊勢町にある芦屋市立美術博物館は、芦屋ゆかりの美術家の作品や、芦屋市内の遺跡から発掘された遺物を収蔵展示する博物館である。
私が訪れた時は、ここで、「芦屋の美術、もうひとつの起点 伊藤継郎」という特別展が開催されていた。
明治40年に大阪に生まれた伊藤継郎は、16歳から洋画を習い始め、昭和3年には芦屋に転居し、生涯洋画を描き続けた。
昭和19年には、37歳で満州に出征し、昭和20年にソ連軍に捉えられ、シベリアに抑留された。
帰国後も芦屋に住んで、小磯良平や日本画家の上村松篁などと交友し、関西の画壇の発展に尽くした。
特別展では、伊藤の作品や、伊藤が交流した画家の作品が展示されていた。
特別展の作品は、一部写真撮影不可だったが、それ以外は撮影可であった。
伊藤の作品の中では、伊藤がインドやヨーロッパなどの海外に取材して描いた作品に魅力を感じた。
伊藤が若いころ師事した赤松麟作の「裸婦」という作品は、昔どこかで見たことがあるような典型的な裸婦像だった。
こういう肉感は、日本画ではなかなか出せない。
古家新という画家の、「河畔」という風景画が、静かで落ち着いた絵であった。
昔から、こうした水辺の風景を描いた静かな画を部屋に飾りたいという気持ちがある。
特別展の見学を終えて、歴史資料展示室を訪れた。
歴史資料展示室を見学して、意外な感を持ったが、芦屋市は、古代遺跡の宝庫である。
会下山遺跡の遺物と、芦屋廃寺跡の遺物は既に紹介したが、それ以外にも金津山古墳や、山芦屋遺跡、打出小槌遺跡などから出土した遺物が展示してある。
これらの各古墳、遺跡の遺物は、当該古墳、遺跡の記事を書く際に、改めて紹介しようと思う。
珍しいものとして、芦屋市大原町の打出岸造り遺跡から発掘された、江戸時代の上水道の遺構の一部を移設展示したのがあった。
上の木槌のように見えるものは、竹で作った樋を丸木で連結した上水道の遺構である。
直径7センチメートルの竹の節を刳り貫いて樋とし、竹の間を穴を開けた直径13センチメートルの丸木で繋いで、上水道とした。
全国的に城下町の上水道遺構は発掘されているが、農村部の上水道の遺構が見つかったのは珍しいそうだ。
また芦屋は、在原業平ゆかりの地でもある。
業平は、芦屋の浜辺に別荘を持っていて、そこに住んでいたことがあるそうだ。
芦屋市内には、業平にちなんで付けられた「業平町」や「業平橋」という地名がある。
また業平の父の阿保親王の塚も芦屋市内にある。
八十塚古墳の出土品の中には、芦屋市指定文化財の双龍環頭大刀柄頭がある。
この双龍環頭大刀柄頭が付いていた大刀を復元した双龍環頭大刀が展示されていた。
このような見事な大刀は、当時の日本国内に住む者全てが羨むような威厳ある装飾品だったことだろう。
芦屋市立美術博物館の敷地には、関西で活躍した洋画家小出樽重のアトリエが復元されている。
アトリエ内は写真撮影禁止だったが、ついさっきまで画家が仕事をしていたかのように、小出の仕事場がリアルに再現されていた。
さて、芦屋市立美術博物館に隣接して、芦屋市立谷崎潤一郎記念館が建つ。
谷崎潤一郎は、昭和9年3月から昭和11年11月までの間、今の芦屋市宮川町にある富田砕花旧居にて暮らしていた。
また「細雪」の舞台は、芦屋川沿いに設定されている。
谷崎潤一郎記念館は、谷崎ゆかりの芦屋市が、昭和63年に開館した、谷崎の原稿や書簡、谷崎が使用した日用品などを収蔵展示する記念館である。
記念館の前に、大きな石が置かれている。この石は、谷崎が「細雪」の中でも描写した昭和13年の阪神大水害の際に、今の神戸市東灘区岡本7丁目にあった谷崎旧邸に、六甲山から転がり込んできた石である。
旧邸の所有者の好意により、昭和63年の開館に際して記念館に贈られたものである。
私が訪れた時は、「文豪新生」という特別展が開催されていた。
谷崎が大正12年9月1日の関東大震災をきっかけに関西に移住したことにより、それまでの西洋かぶれのモダニズムから脱却し、関西に残る日本の伝統文化の美意識に影響を受けた名作群を執筆するようになった跡を辿る展示であった。
展示の中心は、関西移住後の谷崎が、故郷東京への屈折した思いを書いた随筆「東京をおもう」の生原稿であった。
だが展示室内は写真撮影禁止であったので、詳細は紹介できない。
展示の中では、谷崎が昭和3年秋から昭和6年5月まで住んだ神戸市東灘区岡本の鎖瀾閣(さらんかく)の模型が印象的だった。
この支那風の建築物は、谷崎自らデザインしたものと言われている。
記念館には、池泉回遊式の庭があった。
典型的な日本庭園だったが、谷崎はこのような典型的な日本美に目覚めてから名作を量産するようになった。
日本の伝統は、日本の気候や風土の中で培われたものである。そんな気候と風土の中に生きる日本人は、日本の伝統的なものに触れた時に、自然としっくりした感じを持つ。
私は日本の古典文学を読み始めた時に、自分にしっくりくるものはこれだと感じた。
日本人がドストエフスキーやプルーストやシェイクスピアを読んで、いかに感激しても、こんな庭で涼んでいる時のようなしっくりした感じは持てないだろう。
ところが芭蕉の俳句や紀行文を読むと、昔から馴染んでいるものに触れた気持ちになる。ここに自分の根があると感じる。
自分探しに海外を旅行する日本の若者は多いが、私はむしろ日本的なものの中に、必ず失っていた自分を見つけるきっかけがあると思う。