旧ハンター住宅 河内国魂神社

 沢の鶴資料館から北西に走り、神戸市灘区青谷町1丁目にある神戸市立王子動物園に向かった。

 動物園内に、国指定重要文化財の洋館、旧ハンター住宅があるからである。

旧ハンター住宅

 旧ハンター住宅を見学するには、王子動物園の入園料を支払って、動物園内に入らなければならない。

 だが調べてみると、旧ハンター住宅は、2月には内部公開をしていなかった。どうせ外観だけしか見学できないのであれば、史跡と関係のない動物園に入る必要もない。

 園外から外観だけを撮影した。

旧ハンター住宅のペジメント

ベランダ

 旧ハンター住宅は、明治22年にトアロードにあった旧トーア・ホテルの跡地に建てられた。

 明治40年に、イギリス人貿易商E.H.ハンターが買い取り、今の神戸市中央区北野町3丁目に移築した。その後兵庫県に譲渡され、昭和38年に現在地に移築された。

 木骨煉瓦造り、寄棟スレート葺で、1,2階の南面と東面にベランダがある。

2階東面のベランダ

 ベランダは最初開放式だったが、日本の冬の厳しい寒さに適さないことから、今の菱形模様のガラス窓が据えられた。

 神戸の異人館の中でも、古い時期の建築様式を残し、規模も広壮であるため、国指定重要文化財とされた。

 内部の意匠も豪華であるという。見学出来なかったのは残念だ。

 さて、次に神戸市灘区国玉通3丁目にある河内国魂(かわちくにたま)神社を訪れた。

河内国魂神社の鳥居

河内国魂神社

 この神社の創建は、実はよくわかっていない。江戸時代中期までは、五毛天神社と呼ばれ、菅原道真公を専らお祭りしていた。

 五毛は、この地の旧地名の胡麻生(ごもう)から来ているという。

 延喜元年(901年)に道真公が大宰府に左遷となった際、延暦寺座主の尊位僧正とこの地で別れた。

 その時の道真公の対応の見事さを垣間見た村人が、道真公を慕って、没後その神霊をこの地に勧請したと言われている。

境内の梅の花

 隣接する曹洞宗の寺院、海蔵寺との間に、道真公が植えたとされる松の切り株が残っている。

道真公お手植えの松

 瀬戸内海沿岸には、道真公ゆかりの神社が多数鎮座している。道真公が立ち寄った伝説地にことごとく天満神社が建っている。当時の民衆の道真公を慕う気持ちがいかに強かったかを表している。

境内の牛の石像

 さて、五毛天神社だったこの神社が、河内国魂神社という名称になったのは、元文元年(1736年)のことである。

 当時幕府に命じられて、畿内各地の地誌を調査していた儒学者並河誠所が、「延喜式」に載る式内社で、所在不明となっていた河内国魂神社を、この五毛天神社であると比定した。

青銅の獅子のある手水舎

 河内国魂神社は、古代に摂津、河内、和泉の国造として勢威を誇った豪族凡河内(おおしこうち)氏の祖神を祀った神社とされたが、いつしかその所在が分からなくなっていた。

 凡河内氏の祖神は、天津彦根命や天御影命であるが、この辺りの地名が御影であったことから、並河誠所は五毛天神社を河内国魂神社であるとして幕府に報告した。

拝殿

 元文元年(1736年)に土地の庄屋が大坂町奉行所に呼ばれ、五毛天神を河内国魂神社と呼ぶように命ぜられた。

 今では、河内国魂神社には、なぜか大貴己命と少彦名命を祀っている。凡河内氏の祖神は祀ってない。

拝殿内部

拝殿

本殿の屋根

 この神社の社名や祭神名が混乱しているように感じられるが、地元の人も含め、誰もそのことを問題にしていないように見受けられる。

 天神様は相変わらず祀られている。天神様に他の神様が合祀されても、それは大きな問題ではないようだ。

 日本人にとって、神社の名称や祀られる神様の名称は、半ばどうでもいいことのように感じられる。

 手を合わせて何かに祈るという行為が、重要視されているようだ。

 同じ多神教でも、祀られる神様が重視されるヒンズー教とも異なっている。

 日本の神道は、何とも不思議な信仰形態である。