六甲八幡神社 善光寺

 JR六甲駅のすぐ南側に広がるのが、六甲八幡(やはた)神社の杜である。地名で言うと、神戸市灘区八幡3丁目にある。

六甲八幡神社の鳥居

参道

 社伝によれば、万寿三年(1026年)に水原氏がこの地に八幡神を祀ったという。

 治承四年(1180年)、平清盛が福原に遷都した際、石清水八幡宮をここに勧請し、今の六甲八幡神社が創建されたそうだ。

 「太平記」によれば、元弘三年(1333年)の摩耶合戦の際は、摩耶山に立て籠もる赤松円心を、鎌倉幕府六波羅探題の軍勢が八幡林から攻めたという。その八幡林が、この六甲八幡神社の杜だそうだ。

境内

 六甲八幡神社のあるJR六甲駅周辺は、民家やビルが櫛比する市街地だが、その中にこれほど広大な社地があるのが意外であった。

 これも八幡大神の神威であろう。

拝殿

 寛政七年(1795年)には本殿が改築された。

 今の本殿は、奈良の春日大社の旧本殿を移築したものである。優美な春日造りの本殿であった。

本殿

 本殿の隣には、厄神宮がある。

厄神宮

 厄神宮の本殿は、春日大社の本殿が移築されるまで、六甲八幡神社の本殿であった。

 厄神宮本殿には、天正二十年(1592年)に再建されたという墨書銘板が残っている。銘板には、祭神として八幡大菩薩、天照皇大神、春日大明神の名が見えている。当時からこれらの神々は合祀されていたようだ。

厄神宮本殿

虹梁と蟇股、木鼻の彫刻

檜皮葺の屋根

 三間社流造で、檜皮葺の屋根を持つ、安土桃山時代の特色を持つ本殿である。

 平成7年の阪神淡路大震災で全壊したが、その後再建された。兵庫県指定文化財となっている。

 境内には、美しい乙女椿が咲いていた。

境内の乙女椿

 さて、六甲八幡神社から神戸市灘区桜丘町にある天台宗の寺院、宝乗山善光寺に赴いた。

宝乗山善光寺

 この寺院には、兵庫県指定文化財である不動明王像及び二童子像が祀られている。

 このお寺は、元は宝乗院と号し、比叡山延暦寺東塔北谷の一院であった。

 明治2年の火災で堂宇が焼失したが、本尊不動明王像及び二童子像は災を免れた。

 明治38年に兵庫湊川に移転し、信州善光寺の一光三身阿弥陀如来を請来して、大正8年に寺号を宝乗山善光寺と称した。

本堂

 昭和15年湊川から現在地に移転し、昭和50年の宝乗院再興70周年に、比叡山坂本町旧宝乗院里坊跡(平川家)に安置されていた本尊不動明王像及び二童子像を奉迎遷座したという。

不動堂

不動堂内陣

 都会の喧騒の中にある寺院だが、境内は静かである。

 お不動さんは、インド密教直伝のチベット仏教などではそれほど人気がないが、日本密教では人気のある仏様である。

 不動明王は、大日如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)とされる。教令輪身とは、煩悩が強く教えに従わない者を、忿怒の姿で脅し、慈悲から出た暴力で制圧して、仏法に従わせるため、如来が姿を変えたものとされる。

 大日如来は宇宙そのものとされているので、その教令輪身である不動明王は、悪に対する宇宙の怒りを現わしていると言えよう。

 不動明王が日本で人気があるのは、日本人が優しさだけには物足りなさを感じる、強さを尊重する武の文化を併せ持つ民族であるからだろう。

 人気のある仏様からでも、その国の文化を窺うことが出来る。