柿本観音堂

 円満院の西側には山地があるが、この山地を通る峠道を越えると、柿本という集落がある。

 この柿本に一宇観音堂がある。正式には朝日山観音堂と呼ばれている。京都府道707号線の西側の林の中にある。

柿本観音堂への道

 目印は、観音堂の案内板と、柿本バス停である。

 案内板の左手に廃屋があるが、これは観音堂とは無関係である。上の写真の奥に向かう道を歩けば、すぐに観音堂に至る。

柿本観音堂

 観音堂には、福知山市指定文化財の木造千手観音菩薩立像と、脇侍仏である木造不動明王立像、木造毘沙門天立像が祀られている。

 いずれも平安時代末期の造像で、夜久野町最古の仏像であるらしい。

 この観音堂の由来は分からない。昨日紹介した薬師堂のように、長い間柿本の住民により、千手観音立像は守られてきたのだろう。

観音堂正面

観音堂内部

 観音堂は、昨日紹介した薬師堂とは異なって施錠されている。観音菩薩立像を拝観することは出来なかった。

 案内板に掲載されている観音菩薩立像の写真を見ると、鮮やかに彩色された見事な像である。

木造千手観音菩薩立像

 千手観音が持つ多臂は、苦しむ衆生を救う手立て(方便)が多数あることを示している。

 密教の根本経典「大日経」は、法身大日如来が修行者金剛薩埵の質問に答え、教えを説き示すことをその内容としている。これは、修行者の心のなかで行われる、悟りの世界と悟りを求める者との対話を経典化したものである。

 その中で、金剛薩埵が大日如来に対し、一切智智(最も優れた智慧)の原因と根本と目標を尋ねる場面がある。

柿本観音堂

 大日如来はこう答える。「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とする」と。  

 これは「三句の法門」と呼ばれ、真言密教の教えの根本とされている。

 菩提心は、悟りを求める心である。これがなければそもそも仏道は始まらない。だが一人で悟りすましていても駄目である。

 大悲という一切衆生に対する大いなる憐みの心を持って、方便という衆生を救う手立てを究竟(究極の目標)としなければならないと説いている。

柿本のタブの木と観音堂

 衆生を悟りの世界に導くのが仏教の目的だが、衆生の中には、悟りを開くことが出来ない者もいる。そのような者も見捨てることなく、その人の機根に合わせて救いの手立てを用意すべきだと説く。

 弘法大師空海が、讃岐の満濃池を改修して農業を振興したり、祈雨の法を修して雨を降らせ、渇水に苦しんだ人々を救ったのも方便の一つである。

 本地垂迹説のように、仏が神々の姿になって垂迹するのも方便の一つである。

 不動明王のように、憤怒の形相で衆生の煩悩を破砕するのも方便であろう。

 千手観音の千の手は、衆生の機根に合わせて救う手立て(方便)が千種類はあることを示している。

柿本のタブの木

 密教は、ただ悟るだけではなく、悟りを得た後に、現実の世界の中で苦しむ人々の中に自ら入り、汗をかきながら様々な方法で人を助けなければならないと説いている。

 密教は、呪術的なおどろおどろしい前時代的な宗教だという認識が世間にあるのかも知れないが、現実社会とのつながりを保たなければ意味をなさない宗教である。

 さて、観音堂の前には、樹高約25メートル、幹回り約4.8メートルのタブの木がある。

柿本のタブの木

 四方に枝を伸ばした、見事な樹冠を持った木である。この木を見て心が安らぐのも、仏の方便の一つなのだろうか。

 観音堂の前には、昨日も紹介した青面金剛を刻んだ庚申塚がある。

庚申塚と石仏群

庚申塚

 この庚申塚は、寛延四年(1751年)に建立されたものである。

 青面金剛像の頭上にある円形は、日と月を表す。青面金剛は、右手に剣を、左手に羂索(けんじゃく)を持つ。羂索は、人々を悟りの世界に引っ張り込むために使われる索である。

 剣と羂索を用いて、人々を半ば強引に悟りの世界に引き込むのは怖いような気がするが、優しいだけでなく強いものを求める人間の気持ちが現れたものだろう。

 悟りの世界を誰もが得られるなら、経典は必要ないし、方便も必要ない。悟りを得られないから、そのようなものが必要となる。

 仏教の経典や仏像は、人間の不完全さの証であると言える。