先山から下りて次なる目的地に向かう。
兵庫県洲本市下内膳にある洲本市立加茂小学校の周辺は、弥生時代の前期から後期にかけての集落跡のあった下内膳遺跡が発掘された場所だが、遺跡があることを示す案内板等はない。
ここから西に行き、洲本市上内膳にある真言宗の寺院、西北山蓮光寺に赴いた。
蓮光寺は、万治元年(1658年)に蓮光寺裏の鶴岡八幡宮の神宮寺として創建された。
「兵庫県の歴史散歩」上巻によれば、この寺には正中二年(1325年)の銘のある梵鐘があるとのことだったが、境内に鐘楼らしいものは見えなかった。
この寺院は、淡路四国八十八ヶ所霊場第二番である。第一番の千光寺から続いて、第二番の寺院に参詣したことになる。
蓮光寺境内で目を惹くのは、洲本市有形文化財の二重宝塔太子堂である。
太子堂は、明和八年(1771年)に、洲本市山手にある洲本八幡神社の神宮寺である龍宝院に建立された。
明治元年の廃仏毀釈で龍宝院は廃寺となり、太子堂も解体される予定であったが、明治5年に蓮光寺に移築され、命脈を保つに至った。
聖徳太子を祀るのは、大体天台宗の寺院であるが、この優美な建物を後世に伝えるため、他宗派の真言宗寺院が名乗りを上げたのだろう。
細部の彫刻の見事さや、斗栱と尾垂木の複雑な構成など、見応えのある建物だ。
現在は洲本市の文化財だが、年月の経過と共に価値を認められ、いずれは国指定重要文化財になりそうな建物である。
本堂には、十一面観音菩薩坐像を祀ってある。
金色に輝く優しそうな御像であった。
洲本市納字波毛には、古墳時代中期の集落跡が発掘された波毛遺跡があった。
現在リサイクルショップのセカンドストリートのある辺りだ。
この辺りは、商業施設が並んでいて、車の往来も多く、渋滞していた。淡路島で最もにぎやかな一帯だろう。遺跡があったことを示すものはない。
次に先山の西麓である洲本市奥畑にある兵庫県天然記念物芽黒竹(メグロチク)の自生地を訪れた。
芽黒竹は、節と節の間の芽溝部が黒くなっている珍しい竹である。
奥畑の白山神社前の道路を北に約200メートル進むと、左手の山麓に立て看板が見えてくる。その一帯が芽黒竹の自生地である。
なるほど確かに節の間が黒い。
洲本は小さな町であるが、淡路では中心となる町である。これから小まめにこの町の史跡を紹介していきたい。