本宮山円城寺 中編

 円城寺は、実は呪詛の寺としても知られている。

 境内の西側には、提婆天(だいばてん)という神様を祀る提婆宮という社がある。

 この提婆天が、人の恨みを晴らす役割を担っている神様である。

提婆宮への参道

提婆宮の鳥居

 提婆というと、釈迦の弟子で、釈迦の教団から離反した提婆達多(だいばだった)を思い浮かべる。

 提婆達多は、釈迦の教団に厳しい戒律を導入しようとしたが、釈迦に反対されたため、教団から離れ、独自の教団を作った。

 提婆達多は、釈迦に反逆したため、仏教の世界では悪役で有名である。

提婆宮

提婆天の御利益

 だが円城寺に祀られている提婆天は、どうやら提婆達多とは無関係らしい。

 円城寺中興の祖・蓮信法印が、弘安五年(1282年)にこの地に円城寺を再建した際、観音菩薩の奇瑞を感得して、一山の鎮守として提婆天をここに祀ったという。

 その後、数多くの奇瑞霊験が伝えられ、古くから多くの崇敬、篤信の参詣者が訪れている。

 提婆天の御利益を書いた看板を見ると、芸能の神様で、多くの御利益があるのが分かったが、一番左に、「調伏」とあり、その説明に、「使わしめの白狐を派遣して非道な者を懲らしめて下さいます」と書いてある。

拝殿

 確かに拝殿の唐破風の隅に狐を象った瓦が置かれている。狐を使わしめにするのは、お稲荷さんが有名だが、提婆天も白狐を使うらしい。

 古から、「加茂の提婆は人を取る」と言われてきたそうだ。

 深夜、境内の古木に呪い釘を打つと、提婆天の使わしめの白狐が相手に取り付いて、殺してしまうという言い伝えから来ている。

蟇股の謎の梵字

拝殿内部

 本殿は、今まで見たこともない特異な様式である。神社建築でも寺院建築でも、私は今までこういうものは見たことがない。

本殿

唐破風下の彫刻

 まず、本殿の下部を、五手先まで組まれた斗栱が支えている。

本殿下部の斗栱

 こんな五手先まで組まれた斗栱をそもそも今までの史跡巡りで見たことがない。それが本殿の下部にあるというのも特異である。

 また本殿上部にも、斗栱と尾垂木の装飾が執拗なまで繰り返されている。

斗栱と尾垂木

木鼻と斗栱

斗栱と彫刻

 やりすぎとも思える装飾が、この神様の力を現わしているかのようだ。

 また、本殿の背後に、小さな社が備え付けてある。

本殿背後の小祠

 この小祠の中に、小さな陶器の白狐がぎっしり入っている。

 本殿背後の小祠の前には、杉の木が何本か立っている。

本殿背後の杉林

 これが、呪いの釘が打たれる杉林である。

 誰かを呪いたい人は、深夜にこの杉の木に釘で藁人形や写真や名前を書いた布を打ち付けるのだという。

 そうすると、本殿裏の小祠から白狐が出てきて、呪いの相手のもとに向かう・・・。

 提婆宮を囲う塀には、小さな穴が開いているという。白狐はそこから出入りするらしい。

 杉の木に釘が打ち付けてあるか、私は怖くて見ることが出来なかった。

 昔は、円城寺の集落の嫁を離縁すると、提婆天に呪い殺されると恐れられていたそうだ。人間は、どんな時代になっても、呪いの気持ちを持ち続けることだろう。

 さて、円城寺境内の北東側には、延文二年(1357年)八月の銘のある宝篋印塔がある。

宝篋印塔と供養塔

宝篋印塔

 花崗岩製の、均整の取れた非常に美しい石塔だ。

 なお、改修工事の際、基壇下の地下室から5,000体の土仏が発掘されたという。

 この石造宝篋印塔は、年代が明らかで、美術的な価値も高いことで、岡山県指定文化財となっている。

 それにしても、史跡巡りを続けていると、思いがけないものを目にすることがある。今回の提婆宮も、私にとって思いもかけないものであった。おかげで新鮮な気持ちになった。

 人生には、年を取っても驚きが必要だとつくづく思う。