神戸海洋博物館 その1

 メリケンパーク内にある神戸海洋博物館は、昭和62年に開館した。

 神戸港の歴史や、海、船、港に関する資料を展示している。

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神戸海洋博物館

 帆船の白い帆をイメージした、白色の鉄骨で出来た屋上構造物が特徴的である。

 神戸海洋博物館には、神戸港と共に歩んできた川崎重工業の企業博物館カワサキワールドが併設されているが、この建物自体が川崎重工業により建てられている。

 展示物の内、主なものは舶の模型である。入ると1階ホールに展示されている巨大な帆船模型に目を奪われる。

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イギリス海軍旗艦ロドニー号

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 この帆船模型は、1833年にイギリスのベンブローグ造船所で進水したイギリスの二級戦艦ロドニーの1/8模型である。

 ロドニーは、1860年に、蒸気機関によるスクリュー推進艦に改造された。その後、中国駐留艦隊に所属し、慶応三年十二月七日(新暦1868年1月1日)の神戸港開港に際しては、米仏の艦隊と共に神戸港を訪れ、21発の祝砲を放って開港を祝った。

 言うなれば、今の神戸の港と町の誕生を祝ってくれた船である。

 神戸海洋博物館の1階には、数多くの帆船模型が展示されている。私は帆船好きなので、煩を厭わず紹介するが、帆船に興味がない人には退屈だろう。どうぞご容赦願いたい。

 最初に紹介するのは、1492年にコロンブスアメリカ大陸到達を達成した時の船、サンタマリア号である。

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サンタマリア号

 サンタマリア号は、小さな船で、こんな船で大西洋を横断したことは驚きだが、大型の四角帆は大洋の航海に適し、縦帆の三角帆は沿岸の風の変化に対応したものである。

 この船が、今の南北アメリカ大陸の歴史の画期となった。一つの乗り物が、人類の歴史を激変させることがある一例である。

 次なる船は、1637年にイギリス国王チャールズⅠ世の命で建造された、イギリス海軍の主力艦、ソブリン・オブ・ザ・シーズである。

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ソブリン・オブ・ザ・シーズ

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 ソブリン・オブ・ザ・シーズは、三層の砲甲板に大砲102門を備えた当時世界最大の軍艦で、イギリス海軍の主力艦として約60年間君臨した。豪華な装飾が施され、「浮かぶ美術館」とも呼ばれたが、当時のイギリスのライバル国だったオランダからは「黄金の悪魔」と呼ばれ恐れられた。

 この船は、1697年に焼失した。ソブリン・オブ・ザ・シーズが現役艦だった時代は、日本では徳川三代将軍家光、四代将軍家綱、五代将軍綱吉の時代である。

 私は、一時ソブリン・オブ・ザ・シーズの帆船模型を本気で欲しいと思ったことがあった。本格的な帆船模型の製作には、半年以上かかることがある。模型製作に当てる時間が確保できないので諦めた。

 イギリス海軍のライバルであったフランス海軍の大型軍艦が、ソレイル・ロワイヤルである。

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ソレイユ・ロワイヤル

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 ソレイユ・ロワイヤルは、ルイ14世統治下の1669年に竣工した。106門の大砲を有する巨艦である。17世紀後半には、ヨーロッパの海で、ソブリン・オブ・ザ・シーズとソレイユ・ロワイヤルが並び立っていたことになる。
 1588年のアマルダの海戦で、スペイン無敵艦隊イギリス海軍が破ってから、イギリスが最強の海洋国家となったが、17世紀後半にはオランダの建艦技術と航海技術が世界最高のものとなり、オランダの時代がやってくる。

 オランダは元々スペイン領だったが、スペインの衰退に乗じて独立し、一大海洋国家となった。
 今の感覚では、オランダはヨーロッパの中でも小国だが、当時は1万隻以上の軍艦と商船を有する軍事経済の一流国であった。
 そのオランダが1663年に建造したのが、フリースランドである。

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フリースランド

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 ソブリン・オブ・ザ・シーズやソレイユ・ロワイヤルが、三層の砲甲板と100門以上の大砲を備えていたのに対し、フリースランドはそれよりは小さく、二層の砲甲板に80門の大砲を持っていた。
 オランダの船は、英仏の船より軽量で船足が早く、操船しやすいという特徴があった。その代わり、砲撃戦では損傷が甚だしかったそうだ。

 フリースランドは、第三次英蘭戦争のソール・ベイの海戦の時に、オランダの不世出の名将デ・ロイテル提督が使った船である。オランダはこの海戦で英仏艦隊に勝利した。

 次なる船は、1805年のトラファルガーの海戦で、イギリス海軍がナポレオンの艦隊を撃破した時の旗艦、ヴィクトリー号である。

 ヴィクトリー号は、記念艦として今でもイギリス国内で保存展示されている。

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ヴィクトリー号

 トラファルガーの海戦で勝利したイギリスは、七つの海を制覇することになり、世界の海洋覇権を握った。

 海戦で敗れても、まだナポレオン率いるフランス帝国は、ヨーロッパ大陸の覇権を握っていたが、海ではイギリスに勝てなくなった。

 この時から第二次世界大戦まで、イギリス海軍は世界最強の海軍の地位を維持し、イギリス・ポンドが世界貿易の基軸通貨となった。

 第二次世界大戦後、世界最強の海軍を持つようになったのはアメリカ合衆国で、世界の基軸通貨アメリカ・ドルになった。

 単独で世界の海洋交易の安全を保持できる海軍力を持つ国の通貨は信頼され、世界の基軸通貨となることが出来る。

 今、中国人民元が、基軸通貨を目指してアメリカ・ドルに挑戦しているが、未だ遠く及ばない観がある。

 中国以外の世界の海軍が束になってかかっても、中国海軍に敵わなくなった時、中国人民元が世界の基軸通貨になるだろう。だがそんな時代は来ないか、来たとしてもかなり先だろう。

 今回最後に紹介するのは、我が国が幕末にオランダに発注して建造された咸臨丸である。

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咸臨丸

 咸臨丸は、帆以外にスクリュープロペラ推進の蒸気機関を備えた木造軍艦で、長崎に回航されて海軍伝習所の練習艦となった。咸臨丸は、日本海軍の祖とも言うべき船だ。

 万延元年(1860年)の遣米使節派遣の際には、勝海舟が艦長を務めた咸臨丸が使用された。

 これも日本の歴史を切り開いた船の一つである。

 船と言うものは、ただの乗り物の一つに過ぎないが、こうして各時代の帆船を見ると、たった一隻の船が、国家そのものや、その国家のある時代を象徴する存在になり得ることがよく分かる。

 世界の海軍の艦が、他国を表敬訪問することがあるが、あれは国同士の外交儀礼でもあるのだ。

 一つの国家を象徴しうる乗り物は、船しかないと思う。