帆船模型の展示コーナーを抜けると、今度は近代の船舶の模型が展示されているコーナーがある。
その中でも特に精巧に作られているのは、昭和4年に竣工した日本の豪華客船浅間丸の模型である。
この船は、船内装飾に英国クラシック様式を採用した。処女航海で、横浜ーホノルルーサンフランシスコ間を12日間と7時間という速さで航行し、世界に知られた船である。
大東亜戦争中は海軍徴用船となり、昭和19年に南シナ海で雷撃を受けて沈没した。
浅間丸は、昭和初期を代表する日本のクラシックな豪華客船だが、現代日本で運航されている最大の豪華客船は、平成2年に三菱長崎造船所で竣工した飛鳥Ⅱである。
この船は、神戸港の中突堤に寄港する船の中で最大のものである。
子供の頃は、船の中でも軍艦にしか興味がなかったが、大きくなって商船や客船もいいと思うようになってきた。
歴史上の豪華客船で有名なのは、言わずと知れたタイタニック号である。
タイタニック号は、1912年に「大西洋航路の女王」の座を狙ってイギリスで建造された当時世界最大の豪華客船である。
1912年に、2000人を超える乗客を乗せて大西洋横断の処女航海に出たが、北大西洋航海中に氷山に衝突して沈没した。1513人の犠牲者を出した歴史的な海難事故である。
客船だけでなく、軍艦の模型もある。
重巡洋艦那智は、重巡洋艦妙高型の二番艦で、昭和3年に竣工した。
大正11年に日米英仏伊間で締結されたワシントン海軍軍縮条約により、条約締結国は戦艦を新造することが出来なくなった。
そのため、各国は、規制された排水量1万トン以下の枠内で、戦艦に準ずる火力を有する重巡洋艦の建造に鎬を削った。
日本がこの規制下で建造したのが妙高型である。妙高型は、この当時世界各国が建造した重巡洋艦の中で最高の性能を誇った。
昭和17年2月にインドネシア・ジャワ島近海で行われたスラバヤ沖海戦は、重巡洋艦同士の海戦だった。日露戦争中の日本海海戦以降、日本海軍が久々に経験した艦同士の本格的砲戦である。
那智を含む妙高型重巡洋艦を主力とするわが艦隊は、イギリスの重巡洋艦エクセターとオランダの軽巡洋艦2隻を撃沈し、アメリカの重巡洋艦ヒューストンを小破させ、米英蘭豪の連合艦隊を撃破した。
同じ規制下で作られた艦同士の戦いで、日本の艦艇が米英の艦艇に勝ったこの海戦は、当時の我が国の建艦技術の優秀さを物語っている。
死んだ私の父は、日本海軍の艦艇が好きで、実家には海軍や艦艇に関する本ばかりあったが、父が一番好きだったのは日本の重巡洋艦だった。父は機能美という点で、日本の重巡洋艦が最も美しいと言っていた。
末期ガンで入院中の父の病床に見舞いに行くとき、私が差入れに持って行ったのが、日本の重巡洋艦の写真集だった。
戦艦長門は大正9年に竣工した、世界初の16インチ砲を備えた戦艦である。最も長く連合艦隊の旗艦を務め、国民にも日本海軍の象徴として親しまれた。
大和級は国民に対しても軍事機密として秘匿されたので、国民にとって海軍の象徴は長門級だった。
長門は大東亜戦争を生き残った。開戦時12隻あった日本の戦艦の中で、終戦時唯一運航可能な戦艦だった。
長門は終戦と同時にアメリカに接収され、1946年にビキニ環礁で行われた核実験の標的艦にされた。
2度の核爆発を間近で受けた長門は、しばらく耐えて浮いていたが、核爆発の衝撃波で破裂した船体に浸水し、沈没した。
また、館内には、イタリア政府とヴェネツィア市の厚意により、昭和43年に特別に輸入されたゴンドラの実物が展示されている。
ゴンドラは、イタリアの都市ヴェネツィアの運河を行き来する櫓櫂船で、今では観光船としてよく使用されている。
ゴンドラと言えば、大正4年に歌人吉井勇が作詞した「ゴンドラの唄」を思い出す。この歌は、平成26~27年に放送されたNHKの朝の連続テレビドラマ「マッサン」の中でも歌われた。
歌詞の一番はこうである。
命短し 恋せよ乙女 あかき唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを
この歌は、女優松井須磨子が劇中で歌唱し、大正時代の日本で流行した。
「ゴンドラの唄」は、森鷗外が翻訳したアンデルセンの「即興詩人」の中で、主人公アントニオがヴェネツィアに向かう船中で耳にした里謡の歌詞が元になっている。ゴンドラの中で愛し合う若い男女のことを唄っている。
当時の日本の文学青年で、鷗外訳「即興詩人」のロマンチックで清新な訳文の影響を受けなかった者はいない。吉井勇もその一人だ。
上の歌詞に対応する鷗外の名訳はこうである。
朱の唇に触れよ、誰か汝の明日猶在るを知らん。
恋せよ、汝の心の猶少(わか)く、汝の血の猶熱き間に。
ロマンチックな訳文だが、実物のゴンドラを見ると、この狭い船の覆いの下で、男女が抱き合うのはちょっと無理がある気がする。
館の二階に上がると、船首像が並んでいる。
白い女性を象った船首像は、千葉県銚子市の円福寺で竜神様として祀られている像のレプリカである。
この像は、1865年にプロシアで建造された幕府の軍艦美加保丸の船首像と伝えられている。
最近は、1856年にイギリスで建造され、1867年に龍野藩が購入した神龍丸の船首像だという説も出てきた。
それにしても優美な像だ。
その隣の船首像は、1800年ごろオランダで制作された船首像で、その後1889年にドイツで建造されたマチルダコーナー号の船首に取り付けられた。同船は明治43年に西宮市の八馬汽船が購入し、第八多聞丸と改称された。
国内で現存する船首像の中では、保存状態が良い名品であるらしい。
その隣の船首像は、1800年代のオランダの帆船に取り付けられたローマの勇士像である。遠距離からでも識別できるよう、極彩色の塗装が特徴であるという。
船首像は、船を象徴し、船の守護神とされた。船の中でも大事な物である。
船首像群の前には、1797年に就航し、驚くべきことに現在もアメリカ海軍の現役の艦船として運航しているコンスティテューション号の模型があった。
この船は、現在就航している世界の船の中で、最古の船である。大砲44門を備えた重装備のフリゲート艦として建造され、米英戦争に参戦した。
その後何度も廃船の危機を迎えたが、アメリカ国民世論の後押しがあったおかげで保存され、現在に至っている。
1797年と言えば、飛行機どころか自動車もない時代である。
コンスティテューション号は、現在就航している世界最古の船どころか、現役の世界最古の乗り物だろう。
船というのは不思議な乗り物だ。外国の船であっても、見るとわくわくする。海上に目に見える境界線がないように、船はコスモポリタンな存在で、世界中の人が船に抱く気持ちは同じであると思われる。
船は今も昔も、世界の人々にとってロマンの象徴である。