後楽園の中心に、高さ6メートルの築山がある。唯心山である。
唯心山は、池田綱政の子、池田継政が築かせたものである。ということは、後楽園が出来た時には、この山はまだなかったということになる。
唯心山に登ると、広大な園内を一望することが出来る。
唯心山への登り路には、踏み石が置かれ、中腹に六角形の唯心堂がある。
頂上から四囲を見渡すと、後楽園の全てが眼下に見える。
この高さから眺めると、鶴鳴館、延養亭の背後にある高層マンションも遠望できる。
また、遥か東側の操山の方を見ると、中腹に安住院多宝塔の屋根が見える。昨年10月12日の当ブログ記事「禅光寺安住院」で紹介した、後楽園の借景にするために建てられた多宝塔である。
唯心山の麓には、大きな躑躅の群落があり、その間に石で組まれた空滝がある。躑躅が咲く季節は、さぞかし美しいことだろう。
唯心山の東側には、亭舎の中央に水路を通し、水路に美しい色の石を配した流店という建物がある。
戦災を免れた建物で、藩主らが庭廻りの際の休憩所として使用した建物だという。
一階は吹き抜けになっている。夏になると、藩主らは板の間に座って、素足を水路の水につけて涼んだことだろう。
流店を通過した水は、曲水に合流し、八橋の下を流れる。
八橋は、八枚の板を互い違いに組み合わせて作った橋である。
その側には、蘇鉄畑がある。蘇鉄は、主に南西諸島に生育する植物であるが、多数生えることにより、後楽園に南国的な色合いを加えている。
流店から東に歩くと、花交の池がある。花交の池は、園内を流れる曲水が最後に行きつく場所で、曲水の水は、花交の池から旭川に戻る。
園内を経めぐった曲水は、花交の滝となって池に流れ込む。花交の池は、曲水より低い位置に水面があるようだ。
花交の池の隣には、桜林や梅林がある。私が訪れた日は、梅が咲いていた。梅を観ると、めでたい気分になる。
花交の池の南側には、茶祖堂がある。
茶祖堂は、幕末に家老の下屋敷にあった利休堂を、明治20年(1887年)に移築したものである。
茶祖堂は戦後再興された。岡山出身で、日本に茶を伝えた栄西禅師を祀っていたことから、茶祖堂と呼ばれるようになったらしい。
茶畑の方に歩いていくと、新殿という建物がある。
新殿は、幕末に建てられた建物で、床が高くなっており、茶畑越しに園内の風景を眺めることができる。
新殿の前の杭の上に、ジョウビタキがとまっていた。
最近水鳥を眺めると、心が落ち着くようになってきた。水鳥は近づいても逃げることなく悠然と泳いでいることが多い。水鳥ウォッチは楽しいものである。
水鳥以外の普通の野鳥は、警戒心が強くて近づくとすぐに逃げてしまう。なので、その姿を見て何の鳥か認識するのはなかなか難しい。
野鳥の名前を覚えて、ぱっと見て何の鳥かわかるようになったら、野鳥の観察も面白いだろうなと思い始めた。
茶祖堂の南側には、休憩場所となっている広場がある。そこから、旭川対岸の岡山城天守を望むことが出来る。
天下の名園後楽園の見学を終え、岡山城に向けて歩き始めた。