権現堂の参拝を終え、客殿の前を通過し、蓮台寺総本殿に向かった。
その途中、インド製の自動車、アンバサダーが展示してあった。
この車は、岡山県新見市出身の真言僧で、現在もインドで布教活動中の佐々井秀嶺氏から、由加山に贈られたものである。
インドでは、仏教はヒンドゥー教に押されて徐々に衰退し、イスラム教の侵入により一旦滅亡した。
インドでは、長年ヒンドゥー教のカースト制度の下、不可触民と呼ばれる人々が差別を受けてきた。
戦後のインド独立と共に、不可触民階級出身者で、インド憲法の起草者の一人であるアンベードカル博士が、全ての人を平等に扱う仏教の復興運動に乗り出した。
博士の尽力により、ヒンドゥー教の文化の中で差別されてきた不可触民を中心に、仏教に改宗する者が増えた。アンベードカル博士は、不可触民の父と呼ばれるようになった。
佐々井秀嶺氏は、真言宗高尾山薬王院で出家得度した後、留学僧として単身インドに渡り、ラージギルの日本山妙法寺で八木天摂に師事した。アンベードカル博士の死後10年経った昭和41年のことである。
渡印した佐々井氏の夢に、大乗仏教の創始者龍樹菩薩(ナーガールジュナ)が現れた。龍樹菩薩は佐々井氏に、「我は龍樹なり。汝すみやかに南天竜宮へ行け」と告げた。
佐々井氏は、啓示されたとおり、インド中央部のナーグプール(龍の都)に向かった。ナーグプールは、アンベードカル博士が仏教復興運動の拠点とした場所だった。
佐々井氏は、その地でアンベードカル博士の遺志を継いで、インドでの仏教の布教に励むようになった。氏は現在もインドの仏教徒と共に仏教復興運動に心血を注ぎ、カースト制度の廃絶を目指している。
佐々井氏は資金難と闘いながら、ナーグプール近郊のマンセル仏教遺跡の発掘に取り組んでいる。そこは、龍樹菩薩の根本道場跡と目されている。
ところで龍樹菩薩は、真言八祖の第一祖・龍猛菩薩と同一人物とされている。
真言密教の伝説では、法身仏大日如来の教えを受けた金剛薩埵が、「大日経」「金剛頂経」という密教の根本経典を著して南天鉄塔に収め、そこで龍猛菩薩に両経典を授けたという。
佐々井氏は、マンセル仏教遺跡こそ、龍猛菩薩が真言密教の経典を授かった南天鉄塔のあった場所だと確信し、発掘を続けている。
真言密教は、第八祖弘法大師空海が唐から日本に伝えたが、その日本の真言僧が、密教の発祥地インドに渡って、仏教復興に取り組み、この21世紀に伝説の南天鉄塔を発掘しようとしている。
何とも壮大なドラマではないか。私も佐々井氏を応援したい。
さて、平成10年に瑜伽大権現、本尊十一面観音菩薩、弘法大師の瑜伽三尊を祀るために建設されたのが、総本殿である。
それまでは、瑜伽大権現は権現堂、十一面観音菩薩は観音堂、弘法大師は御影堂に祀られていたが、これらの古い建物を文化財として保護するために、瑜伽三尊を新本殿に遷して祀ることにしたそうだ。
この瑜伽三尊は、総本殿の2階に祀られている。2階には非常に広い座敷があり、その奥に瑜伽大権現が祀られていたが、2階は写真撮影禁止だった。
1階中央には、瑜伽大権現のお前立として、木造の不動明王像としては日本一の大きさを誇る由加山厄除大不動が祀られている。
像高約8メートルの巨大な不動明王坐像である。この大不動は、瑜伽大権現の御使隷として、大権現の威光と救いの力を広めるために姿を現したのだという。
大不動の向かって左側には、愛染明王が祀られている。
愛染明王は、人間の煩悩の中でも最も強い愛欲の情の凄まじいパワーを、悟りを求める菩提心に高め、救いを齎す明王とされている。
世のあらゆるものを大日如来の現れとみなす真言密教では、愛欲をも唾棄せず、菩提の因とする。
人間の基本的な生存欲を一度受け入れる真言密教は、実は極めて現実的な教えなのである。
大不動に向かって右には、「おすがり堂」という釈迦如来坐像を祀る部屋がある。
この仏像の由来はこうである。
臨済宗国泰寺管長の勝平大喜老師が、大正時代にビルマに渡り、ビルマ王室に伝わっていた2体の釈迦如来像を持ち帰った。
その内1体は松江市の大庄屋米原伊之助が譲り受けた。仏像は昭和6年の松江大火に遭遇したが、不思議と焼失を免れた。伊之助の子孫の巌が、災難除けの御利益を多くの人に分け与えられるよう、釈迦如来像を由加山に奉納した。それがこの釈迦如来像である。
もう1体の釈迦如来像は、兵庫県たつの市の醬油屋に祀られているという。
おすがり堂の右手には、厄除三十三観音が祀られている。
ところで、平成10年に建った総本殿は、恐らく鉄筋製であり、由加山蓮台寺の本殿に相応しい木造建築物ではない。
総本殿の更に奥に、木造の巨大な本堂が建築中であった。
この本堂が落成した暁には、総本殿に祀られている瑜伽三尊はこちらに遷されることだろう。