旧陸軍第十七師団の遺構 前編

 日本は日露戦争に勝利してから、更に軍備を増強することになり、明治40年(1907年)に陸軍に二個師団が増設された。

 その時に設立されたのが、岡山に司令部が置かれた陸軍第十七師団である。

 現在の岡山大学津島キャンパスのある場所に司令部が置かれ、岡山県総合グラウンドのある場所が練兵場となった。

 今日は、岡山大学津島キャンパスにある旧陸軍第十七師団の遺構を紹介する。

 岡山大学津島キャンパスは広大であり、学生たちは自転車でもなければ移動するのが大変だろうと思われる。

 私が訪れたのは、日曜日の夕暮れ時であり、自由にキャンパスに出入り出来た。キャンパス内には、犬の散歩に訪れている方もいた。

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岡山大学図書館時計塔

 岡山大学本部の南西側に移築保存されているのが、旧陸軍第十七師団、歩兵第三十三旅団、岡山連隊区司令部庁舎だった建物である。

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旧陸軍第十七師団、歩兵第三十三旅団、岡山連隊区司令部庁舎

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 ところで陸軍第十七師団には、第一次編成と第二次編成の二種類がある。

 第一次世界大戦終結後、世界的な軍縮の波が押し寄せた。関東大震災からの復興を願う国民も、軍縮を望むようになった。岡山に司令部を置いた第一次編成の第十七師団は、国民世論の後押しもあり、大正14年(1925年)に廃止となった。

 第十七師団は廃止となったが、第十七師団の編成の一部となっていた歩兵第三十三旅団司令部は残された。

 そして、姫路に駐屯していた陸軍歩兵第十連隊がこの地に移って来た。

 ちなみにその後、支那事変の勃発に伴い、昭和13年に師団が増設され、欠番となっていた第十七師団が復活した。しかし、この第二次編成の第十七師団は、編成されてすぐに中国大陸に派遣され、終戦まで日本に戻ってこなかった。第二次編成の第十七師団は、岡山とは無関係である。

 ところで、この司令部庁舎は、戦後になってから平成14年まで岡山大学の事務局棟として使用された。その後、現大学本部の南西側に移転復元された。

 陸軍第十七師団司令部のころの写真を見ると、今の建物は司令部の正面部だけが残されているに過ぎないことが分る。

 大学本部の前には、旧陸軍第十七師団司令部衛兵所が岡山大学情報展示室として残されている。

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旧陸軍第十七師団司令部衛兵所

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 この衛兵所は、ほぼ当時のまま残っている。国登録有形文化財となっている。

 軍隊の建築物は、何よりも簡素で機能的なことが重んじられている。そんな建物でも、時代を経れば文化財になるのだ。

 大学図書館の前に門衛所があり、今も警備員が詰めているが、ここはかつて軍の門衛所として使用されていたものである。

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門衛所

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 木造モルタル造りの建物だろう。

 大学図書館の裏手にある文学部考古学資料室は、陸軍工兵第十大隊の浴場・食堂として使用されていた煉瓦造りの建物である。

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陸軍工兵第十大隊の浴場・食堂

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 ところで、第一次編成の第十七師団が廃止されてから、姫路から岡山に移って来た歩兵第十連隊は、西南戦争、日清・日露戦争にも従事した歴史ある連隊であった。

 岡山に移ってからは、満州事変、熱河作戦や、中国大陸での各作戦に投入された。

 大東亜戦争では最後にフィリピンのルソン島に派遣された。

 昭和20年、歩兵第十連隊は、フィリピンに上陸してきた米軍と激戦を展開し、部隊は壊滅した。死者率は何と部隊の92パーセントに上ったという。

 通常死傷者が部隊の3分の1に上れば、その部隊の戦闘能力はなくなると言うが、部隊の92パーセントが戦死するまで戦い続けたというのは、勇猛と言うべきか、悲惨と言うべきか、ともかく凄まじい精神力だ。

 言うべき言葉は思い浮かばないが、ただ日本を離れた地で戦死した兵士たちの冥福を祈るばかりである。