旧陸軍第十七師団の遺構 後編

 岡山大学から南に行った突き当りにある、岡山市北区いずみ町の県総合グラウンドは、明治40年の陸軍第十七師団創設から昭和20年の終戦まで、陸軍の練兵場として使用された場所である。

 今はスポーツ施設や公園などがある、市民の憩いの場となっている。

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岡山県総合グラウンド

 県総合グラウンドの敷地は広大である。敷地中央には池があり、その中にオベリスクが聳えている。

 かつてはこの場所で、陸軍兵士が部隊教練や演習を行っていたことだろう。

 この県総合グラウンドの敷地内に、現在総合グラウンドクラブとして利用されている白塗りの洋館がある。

 これが、旧陸軍第十七師団岡山偕行社(かいこうしゃ)である。明治43年(1910年)に建設された建物で、現在は国登録有形文化財となっている。

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旧陸軍第十七師団岡山偕行社

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 偕行社は、旧陸軍の将校、准士官の親睦会、互助会として、明治10年に設立された。陸軍各師団に偕行社の建物が建設され、ここで師団幹部らが飲食会や各種会合を開催した。

 森鷗外は、九州小倉の陸軍第十二師団の軍医部長として、足掛け3年間勤務したが、小倉滞在中に執筆した「小倉日記」に、頻繁に偕行社のことが出てくる。

 当時の師団軍医部長は、軍医監という階級で、戦闘部隊の将校で言えば少将相当官であった。

 「小倉日記」を読むと、鷗外も偕行社での会合に数多く参加したことが分る。

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旧岡山偕行社ファサード

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 この偕行社は、実は現在も公益財団法人として続いている。終戦で一度解散したが、日本独立後の昭和27年に、有志が集まって偕行会として復活、昭和32年に名称をかつての偕行社に戻し、旧陸軍幹部の親睦・互助と戦没者の顕彰、学術研究の活動を続けた。

 戦後は、陸上自衛隊航空自衛隊の元幹部自衛官を会員に加え、活動を継続しているそうだ。

 海軍は、同様の組織として水交社を有していたが、戦後水交会という名称で復活した。今は会員の大半を海上自衛隊の幹部自衛官OBが占めているという。

 旧軍の伝統は終戦で途切れたと思っていたが、こういう形で自衛隊に引き継がれ、現在も続いていることを知って、少し頼もしい気持になった。

 岡山偕行社は、白亜の木造建ての瀟洒な建物である。

 1階は現在はレストランとして利用されている。

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旧岡山偕行社1階

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食堂入口

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食堂

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 今は洒落たカフェ風のレストランになっている。かつてここで、正装した陸軍将校達が盃を挙げて乾杯したところを想像した。

 森鷗外の「藤鞆絵」や「懇親会」に、当時の陸軍の一杯会の描写があるが、現代の我々の座敷での飲み会と然程変わらない。昔から人間のやることは、あまり変わらないものだ。

 2階に昇る階段の手すりや、廊下のしつらいが、上品であった。

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階段

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 日本の洋館の中には、装飾過多なものもあるが、この旧岡山偕行社は、戦闘するための組織である軍の建物である故、過剰な装飾は廃されている。正装した軍人のように、折り目正しさと清潔感と武威を感じさせる建物だ。

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2階への階段

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2階の廊下入口の飾り

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2階廊下

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2階廊下天井

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2階廊下の窓

 旧岡山偕行社は、戦後進駐軍に接収されたが、昭和25年から昭和43年まで岡山労働基準局の建物として利用された。

 その後昭和53年まで合宿所として利用されたが、老朽化のため閉鎖された。平成2年に改修されて、以後総合グラウンドクラブとして利用されることになった。

 旧日本陸軍は、戦後の日本社会では、どちらかというと忌み嫌われ、存在を黙殺され続けてきた。

 旧陸軍が、戦後そのような扱いを受けるようになった理由については、私もある程度知っている。

 しかし、旧陸軍は、日本の歴史上最大の組織であり、日本史上最大の戦争を戦った組織であることは、厳然とした事実である。

 この組織について真正面から向き合わないと、日本の歴史の全体像は理解できないと思う。