福知山市堀 一宮神社

 廣峯古墳記念公園から東進し、福知山市堀にある一宮(いっきゅう)神社に赴いた。

一宮神社

 福知山市内には、一宮神社という名の神社が多数あるが、福知山市堀にある一宮神社が、規模で言えば最も大きい社である。戦前の社格制度では、府社であった。

 祭神は、大己貴(おおなむち)神で、社伝によれば、慶雲四年(707年)に麿子親王により創建されたという。

元禄十一年建立の二の鳥居

 境内に入って二番目にある鳥居は、元禄十一年(1698年)に建立されたものである。

 福知山市登録有形文化財である。

 麿子親王は、第31代用明天皇の子の当麻皇子と同一人物とされている。

 社伝では、麿子親王が丹後大江山の鬼賊退治をした際に、丹波、丹後の国境の守護神として一宮神社を創建したと伝えられるが、当麻皇子は、聖徳太子の異母弟になるため、創建の年として伝わる慶雲四年(707年)とは活躍した時代が合わない。

拝殿

狛犬

 一宮神社は、福知山城の歴代城主からも守護神として崇敬された。

 一宮神社の社殿は、正徳四年(1714年)に焼失した後、享保三年(1718年)に再建された。

拝殿と本殿

本殿

 その後拝殿と幣殿は昭和9年に建て替えられたが、檜皮葺、一間社流造の本殿は、享保三年に建立されたものが今に伝わっている。

 本殿は、京都府登録有形文化財である。

 境内には、その他に多数の境内社があるが、その中でも天満神社八幡神社、武大神社、大原神社という4つの境内社の本殿が、京都府登録有形文化財に指定されている。

 この内、天満神社八幡神社、大原神社の本殿は、享保四年(1719年)に建築されたものである。

天満神社

八幡神社

 天満神社菅原道真公、八幡神社応神天皇を祭神とする。

武大神社

武大神社本殿

 武大神社は、素戔嗚命を祭神とする。

 元々福知山市土に鎮座していて、明治41年に一宮神社に遷座したそうだ。

 武大神社の本殿は、元禄八年(1695年)に建築されたもので、一宮神社本殿よりも古いものである。

大原神社

大原神社の脇障子

 大原神社の祭神は、伊弉冉尊で、安産の神様として福知山では尊崇されている。

 また、境内の裏手には、昭和13年5月に福知山にて編成された陸軍歩兵第120連隊の碑がある。

陸軍歩兵第120連隊の碑

 陸軍歩兵第120連隊が編成された昭和13年5月は、支那事変が勃発した翌年であり、中国大陸での戦いが泥沼に陥り始め、更なる戦力投入が求められた時期である。

 歩兵第120連隊は、武漢や長沙など、中支戦線で戦い、昭和20年の終戦をその地で迎えたようだ。

 昭和60年に連隊の生存者が、記念にこの碑を建立した。

 また境内には、鎌倉時代の燈籠が一基ある。

鎌倉時代の燈籠

 鎌倉時代以前の燈籠は、亀岡以北では、これを含め三基しかないという。国の重要美術品にも指定されているという。 

 また境内には、この地方では唯一の能舞台がある。

能舞台

 一宮神社能舞台は、福知山市登録有形文化財である。

 一宮神社は、小高い丘の上に存在する。明智光秀由良川の流れを変えるまで、由良川は今のJR福知山駅の辺りまで流れてきていた。

 古来由良川は度々氾濫し、一宮神社の北側は何度も水に浸されたことだろう。

 丘の上にある一宮神社は、由良川が氾濫しても水没せずに、地域を見守り続けたことであろう。

 一宮神社は、長い間地域を見守り続けられるように、遥か昔に災害に遭わない場所を選んで建立されたようだ。