由良要塞跡 その2

 今に残る由良要塞跡の遺構の多くは、成ヶ島の南側にある生石(おいし)山に集中している。

生石山

 生石山上の由良要塞跡遺構は、生石公園という公園の中にある。山上までの自動車路や駐車場、散策路が整備されている。散策路を歩きながら、遺構を見学できる。

 私も第四砲台跡に作られた駐車場に車を駐車し、散策を始めた。

 駐車場には展望台があり、そこから対岸の紀州がよく見える。

展望台

和歌山市

 少し高いところから見ているせいか、海岸から見た時よりも和歌山市街がよく見える。その背後の紀州の山々もうっすら青く浮かんでいる。

 私の史跡巡りの第一の目的は高野山だが、ここから見える山々よりはるか奥にある。たどり着けるのは何年後だろう。

 駐車場には、由良要塞の全貌を描いた案内板がある。

由良要塞全図

生石山砲台の状況

 生石山には、全部で5つの砲台がある。

 明治になって軍は日本の防衛についてフランスの指導を仰いだ。フランスの参謀中佐マクリーは、東京湾についで紀淡海峡防備の重要性を説いた。

 明治22年に生石山第三砲台の工事に着工し、明治29年には由良要塞重砲兵連隊(4個大隊12個中隊)が編成された。

 日露戦争後の明治39年に全砲台と施設が完成した。

 駐車場の北側に第四砲台の跡のある小高い丘がある。

第四砲台のある丘

 丘の上に登ると、コンクリートで覆われた円形の穴がある。これが砲座である。

砲座

 かつてこの砲床と呼ばれる穴の中に、27センチ加農(カノン)砲が備え付けられていた。

 カノン砲は、水平に砲弾が飛ぶ大砲である。上の写真の向こう側は海である。敵艦が眼下の紀淡海峡を通過する際は、その舷側に向けて水平射撃して撃破する予定であった。

 今ウクライナで宇露両軍に盛んに使われているのは、榴弾砲である。榴弾砲の弾は、放物線を描いて遠くまで飛ぶ。

 ここに設置されたカノン砲は、射程14,100メートルで、対岸の加太まで十分砲弾が届いた。ここには榴弾砲は必要ないわけだ。

 第四砲台は、標高68メートルという低山の上にある砲台である。そのため、生石山低砲台と呼ばれた。

 第四砲台には、四基の砲座があった。

第四砲台の俯瞰図

 上の図は、上空から第四砲台を見下ろした俯瞰図である。

 先ほど写真に出た砲座が、上の図の第四砲座である。砲座の間には、横墻(おうしょう)という砲座を防御する設備があった。

 また砲座の間の地下には煉瓦製の砲側庫という弾薬を保管する倉庫があった。

 第四砲台の下には、煉瓦造りの砲側庫が崩れながら残っている。

砲側庫

 砲側庫の間には、両側から登ることが出来る石造りの階段が設置されている。

石造りの階段

 この階段の上に砲座がある。兵士が砲側庫にある弾薬を持ってこの階段を上り、砲座に補給したのだろう。

 ところで、私は大砲のことを原始的な兵器で、もう時代遅れなものと考えていたが、今回のウクライナ戦争でその認識を改めさせられた。

 森鷗外による翻訳もある19世紀のプロイセンの軍人クラウゼヴィッツが書いた「戦争論」には、七年戦争からナポレオン戦争までの近代ヨーロッパの各戦争の戦術、戦略の批評が書いてある。当時から大砲は重視されていた。

第四砲台跡から見た成ヶ島の全貌

 「戦争論」に出てくる戦争の時代は、陸軍の兵科と言えば、歩兵、砲兵、騎兵しかいなかった。日清・日露戦争のころも、地上戦では歩兵・砲兵・騎兵が戦っていた。

 こんな時代には、大砲が戦いの帰趨を決することがあっただろうが、現代のような、戦車や歩兵戦闘車だけでなく、航空機、精密誘導ミサイル、ドローンが戦場を馳駆する時代に、大砲がどれだけ役にたつのかと考えていた。

 ところが、今回のウクライナ戦争では、遠方の敵を砲撃できる榴弾砲の火力が、未だに戦場の帰趨を決するのだということが分かった。

成ヶ島の砂州

 考えてみたら、敵陣に安価かつ大量に弾頭を打ち込むのには、弾を積んだ戦車を前線に派遣したり、航空機で空爆するより、遠方から大砲で多量に打ち込む方がいいに決まっている。

 当初ロシア軍は大砲の火力でウクライナ軍を圧倒していた。ウクライナは、反撃のためには大砲や多連装ロケット砲が多量に必要だと国際社会に訴えている。

 もしウクライナが砲撃戦でロシアに勝てば、ロシアの政権が危うくなるかも知れない。ロシアの現政権が倒れて、西側寄りの政権が出来れば、シベリアまで西側の勢力圏になる。

 もしシベリアに米軍基地が出来れば、もはや中国は手も足も出ない。

 今ウクライナの大平原で行われている砲撃戦が、戦場だけでなく世界の帰趨を決するかも知れないのだ。

 今回は凄惨なことを書いてしまったが、戦争も人間の歴史の重要な側面だから、これを無視することは出来ない。

 今人類は冷戦終結以来の重大な岐路に立っている。残念ながら、未だに戦争が世界の構造を変える力を持っているのである。