前島

 牛窓港の前に横たわる島が前島である。泳いでいけそうな距離にあるが、自動車を積めるフェリーが、牛窓港と前島の間の水路をつないでいる。

 私はスイフトスポーツを牛窓側に置いて、単身島に渡った。

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前島

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前島行フェリー

 フェリーは片道150円である。牛窓港を出てから前島に着くのに10分もかからない。

 前島に着くと、レンタルサイクルを借りた。しかし前島は意外と起伏があって、自転車で走ると相当疲れた。

 前島には、どうやらかなり古くから人が住んでいたようだ。前島の周囲には、黒島、黄島、青島という3つの小島があるが、その内、黒島と黄島に貝塚がある。

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黒島

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黄島

 黒島貝塚は、旧石器時代及び縄文時代早期、黄島貝塚縄文時代早期の貝塚である。黒島と前島は、干潮時には砂洲によって結ばれる。

 1万年以上前からここで人々が生活して、貝を採って食べていたのである。どんな人たちだったのだろう。会って話がしたいものだ。

 前島には、大坂城築城残石群が残る。大坂の陣で、豊臣時代の大坂城は焼亡した。徳川幕府は、豊臣家の大坂城の上に、更に巨大な大坂城を再建した。その際に、西日本各地から石垣用の石が切り出された。

 ここ前島にも石切場跡があり、大坂城まで運ばれずに残された残石群がある。

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石切場跡入り口

 前島の中央の小高い丘の上には展望台がある。

 前島には、A、B、C、Dの4つの残石群があるが、私が訪れたのは、遊歩道に近いA地区の残石群である。自転車を降りて、展望台に至る遊歩道を歩いて行くと、展望台の手前に大坂城築城残石群Aがある。

 大坂城は、元和五年(1619年)から寛永八年(1631年)にかけて再建された。徳川二代将軍秀忠の命によって普請が始められ、三代家光の時代まで続けられた。西国の64家の大名が再建工事に関わった。

 今ある大坂城を見たことがある方は分かると思うが、石垣の豪壮さは日本の城の中でも屈指であると思われる。

 その石垣は、これら石切場から切り出されたものである。

 前島の石切場で作業したのは、松江藩堀尾家と岡山藩池田家である。残石に両家の家紋が彫られていることから判明している。

 ということは、今の大坂城の石垣の石には、それぞれに石を切り出した藩の家紋が彫られている可能性がある。

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石切り作業の図

 石切場には、巨大な母岩がある。母岩に矢穴を穿って罅を入れて、岩を割って石を切り出す。

 切り出した石には寸法を入れて、そのサイズに更に割って加工し、仕上がれば海岸まで運び出す。

 海岸からは平田船に載せる。あとは大坂城の濠まで船で運べる。

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母岩

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母岩に開けられた矢穴

 寛永二年(1625年)に牛窓を訪れた朝鮮通信使の記録にも、沖合の島の周囲が石を積んだ船に覆われており、工事の巨大さが分かった旨の記載がある。

 母岩の前には、切り出されてそのままになった残石が放置されている。

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切り出された石

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 切り出されて乱雑に残された石群の姿も独特の景観である。これはこれで絵になりそうだ。

 残石群の奥に大きな石があり、そこに分銅文が彫られていた。この分銅文がどういう意図で彫られたものなのかは分からない。

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分銅文

 現在の大坂城の建物は残念ながら鉄筋コンクリート製だが、石垣は徳川幕府が威信をかけて、こうして西国各地から切り出された巨大な石で組まれたものである。大坂城は石垣だけでも重要な文化遺産である。

 さて、史跡ではないが、折角なので前島の展望台を訪れてみた。

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前島展望台

 展望台は、前島で最も高い丘の頂上に建っている。木製の展望台である。

 ここからの景色がいい。島の西部が一望の下である。

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前島の西部

 また、前島の西側の沖合に浮かぶ犬島も眺められる。

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犬島

 牛窓の町も指呼の間である。

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牛窓の町

 南側には、小豆島があるが、ここから見える小豆島は大きすぎて、一枚の写真には納まらない。

 前島から讃岐までの間には、多数の島々があって、その奥に台形の屋島が見える。雲間から漏れる光がそれらの島々の上に落ちている。

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讃岐方面

 これから私は、ZC33Sスイフトスポーツで、「征服」事業を進めていくが、私がこれから訪れる場所を眺めるのは気分がいいものである。

 思えばこの前島で数百万年も眠っていた岩から切り出された石が、加工されて大坂城の石垣として今納まっているのは、不思議なことである。

 将来大坂城を訪れた時、そんな石群に出会うことが出来るだろう。