大坂城石垣石切小瀬原丁場跡の見学を終え、山の頂の方を見ると、岩肌が露出しているのが見える。
不動山という岩山である
この不動山の頂には、小瀬石鎚神社が鎮座し、御神体の重岩があるという。
駐車場の奥から神社の参道が始まる。
参道入り口に、出迎え不動の祠がある。
祠を過ぎると、長い階段がある。息を切らしながら階段を上がっていく。
階段を登りきると、お稲荷さんを祀る祠と不動明王を祀るお堂がある。ここが参道の中間地点である。
不動明王のお堂の背後には、巨大な岩がある。お堂の中には、岩場に祀られたお不動さんがいるなと思う。
お堂の引き戸は左右に開いた。中には予想通り岩の間に祀られた祠がある。
祠の中には、不動明王像が安置されていることだろう。ここで静かに瞑目し、不動明王の真言を唱えた。
さて、お不動さんの参拝を終え、登拝を続ける。
お堂の先は、急峻な岩場になる。鎖に掴まりながら登っていくことになる。
急峻な岩場を登りきると、眺望が開け、不動山の山頂に至る。
そこには、2つの大きな花崗岩が重なった重岩を御神体として祀る小瀬石鎚神社がある。手前には、細い木を組み合わせただけの簡素な鳥居がある。
小瀬石鎚神社と言っても、御神体の重岩に嵌め込まれた小さな祠があるだけである。
我々は、神社というと、立派な拝殿や本殿、鳥居を備えた建物群を思い浮かべるが、古い神道では、そのような建物はなく、ただ山や巨石や滝を神として崇めていた。
神社の社殿は、仏教が伝来してから、寺院に対抗して建てられたもので、本来の神道では、ただ崇められる自然があるだけである。
この祠が嵌め込まれた重岩こそが、小瀬石鎚神社そのものと言える。
重岩は、巨大な花崗岩である。花崗岩は、太古の火山活動で生み出された溶岩が固まったものだが、風化するとぼろぼろと崩れて真砂土になり、更に崩れて白砂になる。
この重岩は、山全体が花崗岩である不動山が風化で崩れて、山頂に残った岩なのだろう。
さて、小瀬石鎚神社の手前には、大きな鎖が掛かっている。
この鎖は、安永八年(1779年)に伊予(愛媛県)の霊峰石鎚山の三之鎖として掛けられたもので、平成3年に長年石鎚山の霊気を吸った鎖として、小瀬石鎚神社に奉納された。
石鎚山は、標高1982メートルの西日本最高峰の山であり、古来から神が棲む山として信仰され、修験道の行場としても有名な山である。
200年以上、行者や登山客が掴まった鎖というわけだ。
石鎚山も山頂付近は岩が露出している。小瀬石鎚神社は、伊予の石鎚山の神霊を勧請した、小豆島のミニ石鎚山なのである。
重岩の東側には、不動山に連なる岩山が見える。
重岩の西側には、瀬戸内海が見える。山頂付近は岩が露出していて、視界を遮るものはなく、最高の眺望である。
恐らく、小豆島有数の良い眺めであろう。
重岩から南に振り向くと、天空に聳えるかのような鳥居が見える。その先は海である。
鳥居の南側の参道からは、瀬戸内海に浮かぶ島々や、屋島、高松市街まで見渡せる。
この眺望を与えてくれた小瀬石鎚神社への感謝の念が湧いた。
そしていつしか、霊峰石鎚山に登拝したいという願いが強まった。