本蓮寺の本堂は、明応元年(1492年)に再建されたものである。中門と同時代に建てられた。
正面五間、側面五間、寄棟造り、本瓦葺きの均整の取れた建物である。国指定重要文化財である。
この時代の寺院建築でよく見られる斗栱はなく、円柱の上に舟肘木、大斗を置いて軒を支えている。
海側には、三重塔が建つ。私が史跡巡りで訪れた、8つ目の三重塔である。
この三重塔の建築は、棟札の写しにより、元禄三年(1690年)であることが分かっている。一階には禅宗風の華頭窓が配される。
高さは12.6メートル、柱、組み物、華頭窓のバランスが取れていて、簡素だが美しい塔である。
個人的には、一階の縁側に上がるための古い石段が好みである。風化した石はいい。
また、三重塔の脇には、海に臨んだ鐘楼がある。
祖師堂は、入母屋造り、本瓦葺きの屋根を持ち、外陣を全面開放した豪放な造りの建物である。
再建の時期については、元禄四年(1691年)説と、明和六年(1769年)説の二説がある。
蟇股や木鼻、手挟の彫刻が凝っている。祖師堂でいいのは、外陣が吹き抜けになっていることである。海風が吹き廻る場所に建つ本蓮寺に相応しい造りだ。
祖師堂の隣には、鬼子母神堂がある。
内陣には小ぶりな厨子がある。鬼子母神が祀られていることだろう。
法華経を守護する三十番神を祀った祠が、番神堂である。国指定重要文化財である。
江戸時代中期に建てられた覆屋の中に、東祠、中祠、西祠の3つの祠が入っている。
何故か、祠の前の門が大きく傾いている。
3つの祠とも、室町時代後期の建築で、東祠、西祠は流造りの杮葺きで、中祠は入母屋造りの杮葺きで、向拝がついている。
特に東祠は、細高欄が二段に渡って巡らされ、凝った作りである。
中門の南側には、両祖御廟がある。
御廟の中には墓石がある。本蓮寺の両祖の一人は大覚大僧正だろう。もう一人は誰なのだろう。
牛窓港に臨む高台に建つ本蓮寺は、500年以上に渡って船乗りの目印になってきたことだろう。
本蓮寺の鐘の音は、海上まで響き渡ることだろう。
町を見守ってきた寺院の年輪の深さを感じた。