姫路城 その1

 世界文化遺産・国宝姫路城。

 天下の名城は、今や人類全体の財産となっている。日本人ばかりでなく、外国人観光客も多数観光に訪れている。

 姫路城は、姫山と鷺山と呼ばれる二連の丘の上に建てられている。姫山は、今天守閣が建っているところであり、鷺山は、西の丸が建っている場所である。

 最初に姫山に城を築いたのは、赤松円心である。元弘三年(1333年)、鎌倉幕府打倒のため挙兵した円心は、姫山に砦を築いた。

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イーグレ姫路から展望した姫路城

 その後、赤松氏の支族である小寺氏の城となったが、戦国時代には小寺氏の家臣であった黒田氏が城主となる。

 秀吉が播磨を平定した際に、黒田官兵衛が秀吉に姫路城を対毛利戦の拠点にすることを勧め、秀吉が姫路城主となる。

 秀吉は、天正九年(1581年)、姫山に三重天守を築く。姫路城に天守が出来たのは、この時が初めてである。

 今の五層七階の天守閣を築いたのは、初代姫路藩主・池田輝政である。

 池田輝政は、慶長六年(1601年)に姫路城の大改築を開始し、慶長十四年(1609年)に現在の天守閣が完成した。

 姫路城を現在の形に完成させたのは、池田氏の次に姫路藩主となった、本多忠政である。

 上の写真の、天守閣の左の方に伸びている郭(くるわ)を西の丸と呼ぶが、本多忠政は、元和四年(1618年)に鷺山の上に西の丸を築いた。

 これで、現在の姫路城の形が完成した。そうすると、昨年は姫路城完成から400周年だったことになる。

 姫路城は、その白く優美な姿を白鷺に例えられており、別名白鷺城と呼ばれている。姫路城で驚くべきところは、360度どこから観ても美しいということである。どの方角から観ても絵になるものが、日本国内に他に何があるか考えてみたが、恥ずかしながら霊峰・富士山くらいしか思い浮かばなかった。

 地元の贔屓目かも知れないが、この建築美はただ事ではない。私は、中でも、姫路城の南東にある商業施設イーグレ姫路の屋上から眺める姫路城が一番好きである。それが上の写真なのだが、背後に見える播磨山地を借景として利用しているのではないかと思ってしまうほど、背景の山とも合っている。

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天守

 姫路城は、平成21年から27年まで、「平成の大修理」を行っていたが、今でも細々とした修復事業は続いている。私が訪れた時は、上の写真の天守左下にある「りの一渡櫓」が修理中であった。工事用の覆いがかけられているが、これがなければ、もっと美しかったろう。

 さて、「姫路城」とよく呼ばれるが、その範囲はどこまでを指すのだろう。文部科学省は、姫路城跡を特別史跡に指定しているが、その範囲はかつて中曲輪(なかくるわ)と呼ばれたエリアである。

 現在姫路城の南側を国道2号線が通っているが、姫路城南側の国道2号線は、中曲輪の濠を埋め立てて出来たものである。

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中曲輪の範囲

 この写真の青色の線の内側の、濠と国道2号線に囲まれたエリアがかつての中曲輪である。中曲輪内は、武家が住む場所だった。

 姫路市民なら知っているが、このエリア内の住所は、全て「姫路市本町68番地」である。日本一広い番地とされる。 

 今一般に姫路城と呼ばれている範囲は、かつて内曲輪と呼ばれたエリアになる。内曲輪は、大きく本丸(備前丸)、二の丸、三の丸、西の丸に分かれる。このうち、本丸、二の丸、西の丸が有料エリアである。大人1人入場料1000円だ。平成の大修理後大幅に値上がりしたが、これほどの文化遺産を見学できると思えば、安いものである。

 姫路城に入るには、桜門橋を渡り、大手門を潜る。

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桜門橋

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大手門

 実は、この桜門橋と大手門は、近代になって建てられたものである。大手門は昭和13年、桜門橋は平成19年の建築である。

 明治維新後、姫路城は陸軍の駐屯地・演習地となった。その際、当時の城門や三の丸の櫓、土塀は撤去されてしまった。

 今ある大手門は、建築当時の本来の城門と位置も形も全く異なる。江戸時代には、三の丸に入るのに3つの城門を通らねばならなかった。

 大手門を潜ると、三の丸に入る。三の丸までは、無料で入ることが出来る。姫路城は桜の名所でもあるが、花見のシーズンには、三の丸は花見客で一杯になる。

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三の丸から見上げる天守と西の丸

 三の丸は、広大な広場になっているが、かつてはここに藩主等の御屋敷が建っていた。今は市民や観光客の憩いの場となっている。

 菱の門から、二の丸に入ることになるが、天守閣を眺めるだけなら、三の丸からだけでも十分楽しめる。

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菱の門手前から見上げる天守

 姫路城の建物のうち、8つが国宝に、74が国指定重要文化財に指定されている。姫路城を見学するには、お城の案内図があった方がいいだろう。

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姫路城の文化財

 説明板のうち、赤色の数字が国宝であり、それ以外が重要文化財である。建物の位置と名称を確認しながら観て行ったら、より楽しめるだろう。見学に丸一日費やすことになるだろうが。基本的に、以降写真に写る全ての建物は、国宝か重要文化財である。

 菱の門手前の入場口でチケットを買って、菱の門から二の丸に入る。

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菱の門

 菱の門の東側に連なる石垣は、姫山の地形に沿って美しくカーブしている。

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菱の門東方石垣

 菱の門は、豪壮な安土桃山様式の、お城の玄関に相応しい格式高い門である。

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菱の門

 藩主たちは、普段は三の丸の御屋敷に住んでいた。この門から内側が、普段の執務が行われた武士たちの職場であり、有事の要塞である。

 戊辰戦争や姫路空襲といった試練を乗り越えて、この名城が生き残ってきたのは、それだけで一つの物語になるが、以後のシリーズでゆっくり書いていきたいと思う。