伊和神社

 兵庫県宍粟市一宮町須行名にある伊和神社は、播磨国一宮である。一宮は通常、その国で最も格の高い神社を指す。

 伊和神社は、鬱蒼と茂った杉や檜の林の中にある。

 伊和神社のすぐ東側を国道29号線が走るが、境内の鎮守の森に入ってしまえば、国道の喧騒と打って変わって、静寂な雰囲気が周囲を包み込む。

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伊和神社参道

 ここに祀られる大己貴神(おおなむちのかみ)は、別名大名持御魂神、大国主神と言って、出雲大社に祀られている神と同一であるが、この神社の祭神にはもう一つの名があって、伊和大神と言う。

 大国主神は、「古事記」にも出てくる神様で、因幡の白兎の説話や、国譲りの伝説で有名である。

 神話では、大国主神葦原中国(あしはらなかつくに、日本列島のこと)を開拓して国造りを行った後、天孫(今の皇室につながる存在と思われる)系の神々から葦原中国を譲ることを迫られたため、国を譲る代わりに黄泉の国(あの世)の支配者となることを要求し、日本一大きな社殿を持つ神社に祀られることになった。それが出雲大社の発祥である。

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伊和神社参道

 今でも毎年神無月(10月)には、日本中の神々が出雲大社に集合すると言われている。皇室が君臨する以前の日本の支配者だった大国主神は、我が国の神霊の世界の統率者として、今も日本文化の中に生きている。

 伊和神社に祀られる伊和大神は、「古事記」「日本書紀」には出てこない。「播磨国風土記」の中に記載がある神である。

 「古事記」「日本書紀」には、成立時点の宮廷の政治的意向が反映されていると言われるが、同時期に成立した「風土記」は、各地方で編纂されたものなので、中央の政治的意向の介入は少なく、地元で語り継がれた伝説がそのまま収録されているものと思われる。

 朝廷が「風土記」編纂が命じたのが、和銅六年(713年)であるから、伊和大神の伝説は、まだ地元で生き生きと語り継がれていたのではないか。

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北向きの社殿

 「播磨国風土記」の中では、伊和大神は、播磨国の開拓をして、地元に農業や医療を普及させたとされる。 

 そして、この伊和の地に来て、「我が事をわ(終わった)」と言ったので、この地を伊和(いわ)と呼ぶようになったという。

 伊和大神は、出雲から来た神と言われている。恐らく、出雲の勢力が、播磨まで進出してきて、この地を開発したのだろう。

 通常の神社は、大体社殿が南向きに建てられているが、伊和神社の社殿は北向きに建てられている。伊和大神の故郷の出雲に向かう方向を向いているのだろうか。

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伊和神社幣殿

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幣殿の鶴の像

 伊和神社の創建は、第13代成務天皇のころと伝えられる。成務天皇は、応神天皇の祖父であり、実在したとすれば、西暦350年ころの在位だろう。

 伊和神社の近くにある前方後円墳伊和中山1号墳は、成務天皇の時代に近い4世紀後半の築造とされている。前方後円墳は大和政権の支配の証なので、そのころには、伊和の地は大和政権の勢力下に入っていたと思われる。

 4世紀半ばにこの辺りを制圧した大和政権が、伊和大神に象徴される旧の支配者を祀ったのが、伊和神社の始まりではなかったか。

 出雲大社もそうだが、古くから皇室は、皇室に敵対した勢力や、皇室に祟りをなす怨霊を神として祀り、元々の敵をついには皇室の守護神に変えて日本の安穏を維持するということを行ってきた。伊和大神もそうして祀られた神の一柱ではないかと思えてならない。これは私の空想だが。

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本殿

 伊和神社には、創建にまつわる伝説が残されている。

 伊和恒郷という地元の豪族が、夢で伊和大神から「我をこの地に祀れ」との託宣を受け、驚いて目を覚ますと、一夜にして伊和の地に杉や檜の林が出来ており、その上を鶴が飛んでいた。石の上で鶴が2羽北向きに寝ていたので、北向きに社殿を造ったとされている。

 本殿南側には、その時に鶴が寝ていた「鶴石」が残っている。

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鶴石

 伊和神社は、6世紀の欽明天皇の時代の創建とする説もある。伊和恒郷という名前が、とてもではないが成務天皇の時代の名前と思われないので、こちらの方が実際の創建の時代に近いのかもしれない。

 伊和神社は、平安時代の「延喜式」で名神大社とされ、大日本帝国時代の社格制度では国幣中社とされた。古くから尊崇されてきた神社である。

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御神木

 伊和神社の社殿は、江戸時代後期に建て直されたものなので、建物自体はそう古くないが、この神社で印象的なのは、伝説によれば一夜で出現したとされる、神社を包む杜である。

 まさに「森厳」という言葉がふさわしい、森と神域が一体化した厳かさを感じる。

 境内北側には、由来は分からないが、巨石が多数存在する。

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境内の巨石群

 縄文時代から、日本には巨木や巨石に対する信仰があったと言われているが、神道の元々の姿も、巨木や巨石や秀麗な山や滝などに対する、自然信仰であったと思われる。

 伊和神社には、古くからの日本の信仰の形が残っているように思われた。