2月20日に神戸の史跡巡りを行った。
最初に訪れたのは、再度山(ふたたびさん)大龍寺である。ここは真言宗の別格本山である。
再度山は、六甲山系の一峰で、標高は約470メートルである。大龍寺は、この山の中腹にある。
狭く曲がりくねった再度山ドライブウェーを走って再度山の中腹まで来ると、左手に山門が見えてくる。
山門前の駐車場にスイフトスポーツを停め、冷えた朝の空気の中を歩き始めた。
大龍寺は、神護景雲二年(768年)に和気清麻呂が創建したと伝えられる。
清麻呂が宇佐八幡宮に向かう途中、この地で弓削道鏡の刺客に襲われた。すると大蛇が現れて、清麻呂を刺客から救ったという。
和気清麻呂は、感謝の意を込めて寺院を開創したのだろうか。
山門を潜り、しばらく坂道を登ると、石段が現れ、その先に仁王門が見える。
延暦年間(782~806年)に、弘法大師空海が入唐前に大龍寺を訪れて救法の成功を祈り、無事に法を得て帰朝した後、再度大龍寺を訪れて御礼参りをしたことから、再度(ふたたび)山という山号になったという。
空海が渡唐に際して神戸沖を船で通りかかった時、海から龍が現れて船を守り、帰路に再度山に入山した際も、この龍が姿を現したという。
仁王門の左右には、阿形、吽形の二体の仁王像がある。なかなか迫力ある仁王様だ。
仁王門を潜って正面を見ると、本堂まで真っ直ぐ石畳の参道が続いている。
また、仁王門を潜って左手を見ると、赤い鳥居が続く登り道がある。これは、大龍寺の鎮守の権倉稲荷大明神に続く道である。
正面の参道の左手には、西国三十三観音の石仏が祀ってある。
苦しむ衆生を救うため、不断に救いの手を差し伸べる観音様。観音の働きは、実は自分の心の中にあるのかも知れない。
参道をしばらく行くと、左手に「ヤマ黒蛇神」と刻んだ石が祀られている。
和気清麻呂や弘法大師を助けた大蛇(龍)と関連がある神様なのだろうか。
古来から日本人は蛇を霊力の象徴として崇めてきた。
私は、最近数珠を持って自宅近くのミニ四国八十八ヶ所や山中のお稲荷さんを巡って、真言を上げたり祝詞を唱えるようになったが、そんな道中に今まで二度黄金色の蛇に遭遇したことがある。
単なる偶然かも知れないが、私も目の前を横切る蛇を見て、何かに歓迎されている気分になった。
参道を進むと石段がある。
石段を登った先には、本堂がある。
大龍寺は、南北朝の争乱で焼失したが、観応二年(1351年)に赤松範資(のりすけ)が再興した。
今の大龍寺の伽藍は、江戸時代初期に再興されたものである。
本堂に祀られるのは、聖如意輪観世音菩薩立像である。奈良時代に制作された高さ約1.8メートルの一木造の仏像で、神戸市内では最古の木造仏である。国指定重要文化財だ。
本堂に並んで、毘沙門堂がある。毘沙門堂には、本尊毘沙門天と脇本尊の三面大黒天、妙音弁財天の天部の三神が祀られている。
毘沙門堂の内部を拝観すると、周囲の壁を金色の萬体観世音菩薩像が埋め尽くしている。
さて、仁王門を潜ると左側に権倉稲荷大明神への参道があったが、この道を登り切ると、赤鳥居の先に毘沙門堂が見える。
この景色は、完全に神仏習合の世界のものだ。
赤鳥居の左手には鐘楼があり、その先には岩穴の中に鎮座する権倉稲荷大明神がある。
稲荷大明神は、真言宗寺院の鎮守である。正面に立って柏手を打った。
権倉稲荷大明神が鎮座する岩窟の隣には、古びた石仏がある。神仏が当然のように同居している。
大龍寺を訪ねて、真言密教というものが、仏教の空観と神道やヒンズー教の多神教が融合した、変幻自在な教えであると実感した。
高度に観念的な要素と、民衆に分り易いおまじないの世界が融合した教えである。まさに胎蔵曼荼羅の世界そのままだ。
再度山の麓から大龍寺までは、「空海の道」と名付けられた登山道が整備されている。
私が大龍寺を訪れた時も、登山客が境内を散策していた。
私はいつの日か、若き空海が修行して歩いた吉野から大峯山、高野山に至る道や、四国八十八ヶ所霊場を歩いて巡拝したいという夢を抱いている。
今勤めている仕事を終えてからにしようと考えているから、遠い先のことだ。