葛下城跡から下山し、スイフトスポーツに乗車して、美作の更に奥地に車を走らせる。
岡山県苫田郡鏡野町中谷にある真言宗の寺院、法華山弘秀寺を訪れた。
弘秀寺は、神亀元年(724年)に行基菩薩が開創したとされている。
元々の弘秀寺は、天楽山という山号で、現在地の西側にある寺山山上にあった。12の塔頭寺院と7つの堂塔があったというが、その中で支院の法華山大円寺のみが残り、弘秀寺の名を継いだ。
この寺院の観音堂には、岡山県指定文化財の木造十一面観音立像と木造金剛力士像が祀ってある。かつて山上にあった天楽山弘秀寺に祀ってあった仏像である。
観音堂は、毎月18日の縁日のみ開扉されるという。
木造十一面観音立像は、像高3.03メートルの巨大な木像で、岡山県内の木像としては最大であるという。
平安時代後期の作で、ヒノキの一木割剥造であるそうだ。
金剛力士像は、天楽山弘秀寺の山門に祀ってあったもので、像高193センチメートルの阿形像と、像高192センチメートルの吽形像がある。
鎌倉時代の慶派仏師による作ではないかと言われている。
私が訪れた時、丁度観音堂から寺のご婦人が出てこられた。
私が参拝を終えて車に戻ろうとすると、庫裏の方からご婦人が「よければお茶を」と声をかけて下さった。
私は恐縮しながら、ありがたくお茶を頂くことにした。庫裏の前の縁台に、お盆に載せたお茶と干菓子が置いてある。干菓子を見て不思議とほっとした。
ご婦人は、住職と高野山に住んでいたが、2年前に弘秀寺にやってきたとおっしゃっていた。
地方の後継者のいない寺院には、高野山から僧侶が派遣されるとのことだった。
その他、最近の寒波など時候のことについて会話をした。弘秀寺も寒いが、高野山も寒いとのことだった。
ご婦人は、ふと泥だらけの私のカバンに目をとめて、「拭きましょうか」とおっしゃった。
先ほど葛下城跡で転んだ時に泥が付いたカバンである。さすがに申し訳ないので「大丈夫です」と答えた。
ご婦人との会話は短かったが、人の優しさに触れて穏やかな気持ちになった。
つらいことの多い人生だが、その中で人の優しさに触れると、少しの間息をつくことが出来る。
私もこれからの人生で、人をほっとさせることを心がけようと、ふと思った。