九手神社から北東に行った京都府船井郡京丹波町豊田新宮谷に、曹洞宗の寺院、馬眼山新宮寺がある。

寛治四年(1090年)に白河法皇が紀州熊野に参籠中、夢のお告げによってこの地に熊野十二所権現を祀ったのが、新宮寺の開基である。
熊野十二所権現は、いつしか安産の神様(仏様)として信仰を集め、子安新宮権現と呼ばれるようになった。


参道を歩いていくと、新宮大権現の山門が見えてくる。
山門の手前を左に折れると、本堂に至る。


伝教大師作の仏像が納められたということは、当初の新宮寺は天台宗の寺だったということだろう。
新宮寺は、南北朝時代に寺領が押収されるなどして衰退した。現在の社殿は、元禄五年(1692年)に新宮道意という僧侶が再建したものである。
この時に、曹洞宗の寺院になったのではないか。

本堂から山門の前に戻る。山門を潜ると、山の中腹に向かって参道が続いている。

池には大きな鯉が泳いでいる。
弁才天を過ぎてすぐ右手に大日堂がある。大日如来と弘法大師を祀っている。


不思議と曹洞宗の寺には弘法大師が祀られていることが多い。曹洞宗は懐の広い宗派なのかも知れない。
大日堂を過ぎると、急な石段が始まる。この上に、不動明王を祀る不動堂があるのだ。


不動堂は、そう古い建物ではない。だが内部に祀られている尊像は、時代を経たものである。


不動堂には、平安時代中期の不動明王像、室町時代の四大明王像(大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉明王)、平安時代初期から中期の破損仏、鎌倉時代の木製五輪塔が安置されている。

不動堂の更に奥には、熊野十二所権現を祀る権現堂がある。覆屋に覆われている。


権現堂には、熊野十二所権現と呼ばれる、紀州熊野に祀られる十二の神様が祀られている。それぞれの神様に、本地仏と言われる仏様がある。
例えば熊野本宮大社に祀られる家都御子(けつみこ)神は、素戔嗚尊と言われているが、素戔嗚尊の本地仏は阿弥陀如来である。

阿弥陀如来は、熊野神社だけでなく、八幡神社の本地仏でもある。
鎌倉時代に一遍上人が、熊野三山や、播州の松原八幡神社、素戔嗚尊を祀る廣峯神社を訪れて、南無阿弥陀仏の名号について説いたのも、故のないことではない。
権現堂は、阿弥陀堂とも呼ばれている。元禄五年(1692年)に建てられたものだろう。




私は権現堂の前に立って南無阿弥陀仏の名号を唱えた。
自分を捨てて阿弥陀如来に全てを委ねる南無阿弥陀仏の名号は、自分を自分から解放する自由のための言葉である。
記紀神話で、父神の伊弉諾尊から海原の支配を命じられたのに、それをボイコットして神界に騒動を引き起こし、地上に降りては八岐大蛇を退治して英雄となった素戔嗚尊は、日本の自由人の原型のようなものである。