三岳山金光寺の参拝を終え、進路を北東に取り、福知山市上野条(かみのじょう)にある御勝(みかつ)八幡宮を訪れた。
この神社の創建は、昌泰二年(899年)よりは前だと言われている。
古くから、この地方の惣社として崇められていた。
正暦元年(990年)、源頼光は、大江山に棲む酒呑童子という鬼の退治に赴く途次、この八幡宮に立ち寄り、37日間参篭して戦勝を祈願した。
その甲斐あってか、酒呑童子を無事退治することが出来た。
源頼光は、帰路に八幡宮に立ち寄り、大勝を報告し、御神徳を称えて御勝の名を捧げたという。
以来、諸事必勝の霊神として尊崇を集めている。
本殿は、橙色の屋根を持つ覆屋に覆われている。
私も所願成就の神様に史跡巡りの無事を願った。きっと御嘉納されることだろう。
源頼光は、戦勝報告の際に、祭神に田楽を奉納したとされている。
御勝八幡宮では、25年に1度、御勝大祭が行われるが、その時に紫宸殿田楽が奉納される。源頼光が奉納した田楽を受け継いでいるのだろうか。
紫宸殿は、内裏の正殿で、宮中儀式が行われる建物であるが、紫宸殿田楽の名は、紫宸殿で行われていた田楽であるという伝承から来ているそうだ。
上の写真で、布のようなものを両手に持っている人たちが並んでいるが、この布のようなものが、ビンザサラという札状の板を綴り合せた打楽器である。
紫宸殿田楽は、ビンザサラを持った踊り手12名、太鼓2名、笛2名、前立と呼ばれる甲冑を着た武士1名と山伏1名で行われる。
中世の田楽の様子を現在に伝える古式床しい神事である。
境内に七人塚という塚があったが、この塚の由来は分からなかった。鬼退治で戦死した源頼光の部下の塚だろうか。
御勝八幡宮から北東に進んで、国道176号線に出て更に北上する。福知山市雲原にある大歳神社を訪れた。
雲原は丹波の北端である。これより北は丹後になる。
急な参道を登っていくと、巨杉に囲まれた社殿が目に入る。
大歳神社には、全576巻の紙本墨書「大般若経」が伝えられている。
平安時代のものが220巻、鎌倉時代330巻、室町・江戸時代9巻、断簡7巻あるという。
伝説では、酒呑童子退治に向かう源頼光一行が熊野権現を勧請し、酒呑童子退治後に、頼光以下7名が「大般若経」を筆写して祭神に奉納したという。
祭神に仏典を奉納するというのは不思議だが、平安時代には、日本の神々も煩悩に悩んで解脱できずに苦しんでいるという解釈が出てきた。そして、神々を仏道に引き入れて解脱させるという考え方が出てきた。神様も人間と同じように悩んでいるという発想が面白い。
参道の途中に宝物庫があったが、この中に「大般若経」が収蔵されているのだろうか。大歳神社の「大般若経」は、福知山市指定有形文化財である。
更に参道を登ると、鬱蒼と茂った杉の暗がりの中に本殿がある。
本殿は覆屋に覆われている。雪の降る地方は、社殿の痛みが早いのだろうか。覆屋に覆われた社殿が多い。
本殿木鼻の彫刻を見ると、どう見ても獅子ではなく猿である。猿の木鼻は初めて見た。