三岳山金光寺

 佐々木神社から出発して、三岳山の南側の山麓を通る市道を走り、福知山市喜多にある真言宗の寺院、三岳山金光寺(きんこうじ)に赴いた。

 この地は過去に比叡山妙香院の荘園だった。金光寺は元々は天台宗の寺院だったが、江戸時代初期に真言宗の寺院になったそうだ。

 寺の東側に、喜多六所神社という小さな社がある。

喜多六所神社

 この神社は、上筒尾(うわつつのお)神、中筒尾(なかつつのお)神、下筒尾(しもつつのお)神、大直日(おおなおび)神、大過津日(おおまがつひ)神、外一柱の六柱の神様を祀っている。

喜多六所神社本殿

龍の彫刻

木鼻の彫刻

 本殿は覆屋に覆われているが、近寄ってみると彫刻が面白い。龍や獅子や獏の目が黒くなっていて、ちょっと怖い彫刻だ。

 喜多六所神社の向かって左手に、金光寺への参道がある。

金光寺参道

 参道を歩いて赤い屋根の山門を潜ると、さらに石段が直線状に延びている。

参道

 私が山門を潜って石段を登ろうとしたとき、参道の先に立派な角を生やした牡鹿がいて、こちらをじっと見ていることに気が付いた。

 牡鹿は私が近づいてくると見るや、「ぴー」と鳴きながら山の方角に走っていった。

 何だかこの寺院に呼ばれているような気がした。

 さて、上の写真の手前の石段を登り、左に行けば三岳山の山頂までの登山コースになる。私は金光寺を目指して真っすぐ進んだ。

参道

 金光寺は、大化年間(645~650年)に役行者が三岳山の修験道場として創建したと言われている。

 平安時代山麓の佐々木荘が比叡山延暦寺の院家・妙香院の荘園になったことから、延暦寺の末寺になった。

 南北朝時代初期に三岳山上の三岳神社に蔵王権現が祀られると、その別当寺として隆盛した。別当寺とは、神仏習合の時代に、神社を管理するために置かれた寺のことである。

 最盛期には七堂伽藍が建ち並び、多くの修験者が訪れたと言われている。

本堂

 戦国時代には明智光秀による焼き討ちなどで多くの伽藍が焼失した。

 信長は、各地の天台宗の寺院を徹底攻撃したようだ。

 金光寺は、江戸時代初期に高野山宝城院の末寺になった。塔頭は、不動堂を本堂とする金光寺と宝寿院・宝光院の3ヶ寺になり、江戸時代末期に2ヶ寺が廃絶して金光寺だけになった。

 金光寺は、本尊である不動明王と十一面観世音菩薩を祀っている。

 金光寺には、寺宝として、鎌倉時代に制作された、絹本著色愛染明王像図と紫絹金泥種子曼荼羅図という2つの宗教画を保管している。両方福知山市指定有形文化財である。

絹本著色愛染明王像図

 密教では、仏を如来、菩薩、明王、天に分けているが、明王は憤怒の形相をして、煩悩に捉われ容易に仏道に足を踏み入れることが出来ない人々を、怒りの力で済度する仏である。

 愛染明王は、人間の愛欲の持つパワーを悟りに近づく力に転化した明王である。欲望も実は悟りへの機縁となるわけだ。

 紫絹金泥種子曼荼羅は、96種類の曼荼羅を、金泥を用いた種子(梵字)で描いたものである。

紫絹金泥種子曼荼羅

 密教では、この宇宙は声(音)で形成されていると教える。弘法大師空海も、「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」で、「五大(宇宙を構成する地水火風空)に皆響きあり」と説いている。

 我々が体験する現象は、仏が発した声が顕現したもので、その声の象徴が種子(梵字)であるという。

 素粒子物理学超ひも理論では、物質の元素を突き詰めれば、最後は極小のひもの振動に行きつくという。

 振動の種類により、クォークの種類が決まり、多数のクォークが集まって、陽子、中性子、電子になり、陽子、中性子、電子が集まって原子になり、原子が集まって分子になり、分子が集まって我々が目にする物質になる。

 世界を音響の顕現と捉える密教と、世界をひもの振動と捉える素粒子物理学が一致するかに見えるのは、ちょっと面白い。我々はただひもの振動に踊らされているだけなのだ。

 さて参道を歩くと、目の前に立派な石垣の上に建てられた不動堂が見えてくる。

不動堂

 不動堂の前には、巨大なタブの木が生えている。不動堂を守っているかのようだ。

不動堂

 不動堂の中を窺うと、暗闇の中に宮殿があり、その手前に蔵王権現の像が立っている。

宮殿と蔵王権現

 蔵王権現は、日本の修験道独自の神である。三岳山にも宿っているのだろう。

 さて、不動堂の背後の崖上に巨大な宝篋印塔があるというので、裏山に向かった。

 岩間を落ちる滝があった。滝に近づくと、遥か頭上から、「ぴーっ」という鳴き声が聞こえた。さっきの牡鹿が呼んでいるな、と思った。

裏山の滝

 滝が落ちてくる岩の上までは、泥土の急斜面である。そこを登ろうとしたが、何度も足が滑って落ちそうになった。木の枝に掴まりながらよじ登っていく。

 見上げると巨大な岩がある。この上に宝篋印塔があるだろうと見当をつけて登ると、果たして宝篋印塔があった。

宝篋印塔

 無銘で、塔身に何も描かれていないシンプルな塔だが、様式からし南北朝期を下らないそうだ。

 塔の高さは、約3.8メートルである。巨大な塔である。

 帰路は、緩やかな下山路を歩いた。この道には登りの時に気がつかなかった。滝に向かって左に行けば、宝篋印塔への道があったのだ。

 不動堂を見下ろすと、なかなか標高の高い場所に寺院があることが分かる。

不動堂を見下ろす

 不動堂のある場所から眺めると、丹波の山々が続いているのが見える。

丹波の山々

 これらの山々も、雲も空も、その先の宇宙も、それを認識する私の意識も、全て仏の出した声だと思えば、何だかそんな気もしてくる。

 五大に皆響きありという弘法大師の言葉が実感できるような風景であった。