日本・モンゴル民族博物館の見学を終えて、兵庫県豊岡市出石町宮内にある但馬国一宮出石神社に向かった。
但馬には一宮が2つある。1つは以前紹介した朝来市山東町粟鹿にある粟鹿神社である。もう1つがこの出石神社である。
これで、播磨、美作、淡路、備前、但馬の5ヶ国の一宮に参拝したことになる。
境内の南側に石造鳥居があり、参道を北に歩くと木製の両部鳥居がある。
両部鳥居を潜ると、丹塗りの神門と境内を囲む丹塗りの塀がある。
神門は八脚門で、複数の蟇股を持っている。彫刻の彩色が鮮やかである。
出石神社の祭神は、古代日本に朝鮮半島から渡来した新羅の王子、天日槍(あめのひぼこ)命と、天日槍命が持参した八種(やくさ)の神宝(かんだから)を神格化した出石八前(いずしやまえ)大神である。
太古の豊岡平野は、泥沼のようなぬかるみに覆われていた。天日槍命が円山川河口にある岩山を掘削し、泥水を日本海に流して、肥沃な豊岡平野を開拓したという。
また天日槍命は、半島から但馬に金属器を齎したという。国土開発の神様である。
神門の軒下には、古い木材の柱が置かれている。
出石神社の西方約700メートルに、出石町鳥居という地名が残っている。ここは、平安時代に出石神社の二の鳥居があったという伝承の残る場所だった。
昭和8年に、河川改修工事を行ったところ、地中からこの平安時代の鳥居の両柱と古銭が出土した。
平安時代には、但馬に赴任した国司は、この鳥居を潜って出石神社に参拝したのだろう。
出石神社の現在の社殿は、大正3年に再建されたものである。
拝殿は蔀戸を付けた平入入母屋造りで、正面に拝殿の屋根から独立した平唐破風出桁の向拝を持つ珍しい造りである。
拝殿と本殿の間には、切妻造りの幣殿と祝詞殿がある。
本殿は三間社流造で、銅板葺の屋根を持つ。
本殿の軒下の彫刻が、複雑な花弁のような彫刻で、圧巻の出来栄えである。
出石神社の社殿は、大正時代の神社建築の中で、名建築として後世に伝えられるのではないか。
本殿の周囲には、摂社や末社が複数あったが、中でも夢見稲荷社という摂社の名前には心惹かれた。
ここに参拝すれば、いい夢を見ることができそうだ。
境内の東側には、原生林が広がっており、塀で囲まれた禁足地がある。
ここは天日槍命の陵墓とも言われている。足を踏み入れると祟りがあると言い伝えられている。
禁足地の中には、一部盛り上がったところもあるので、本当に陵墓なのかも知れない。
但馬の開拓者である天日槍命の終焉の地と思えば、ロマンがあるではないか。天日槍命は、今もこの場所から豊岡平野の豊かに広がる水田を見守っているのだろうか。