日本・モンゴル民族博物館 その5

 日本・モンゴル民族博物館の「モンゴル草原のいのり」コーナーに入った。

 ここは、モンゴルの仏教寺院を模した室内装飾をしている。

「モンゴル草原のいのり」コーナー

 1240年にモンゴル帝国2代目ハーンのオゴタイの子コデンがチベットを征服した。

 この時から、モンゴルとチベット仏教の交流が生まれた。

 5代目ハーンのフビライは、チベット仏教の高僧パスパを国師として迎え、チベット仏教モンゴル帝国の国教とした。

 パスパは、フビライに依頼され、チベット文字を基にして、パスパ文字というモンゴルの公用文字を考案した。

パスパ文字で書かれた仏教経典

 チベットはインドに隣接していたことから、インドから直接仏教が流入した。

 日本や朝鮮半島は、中国経由で仏教を吸収してきた。

 中国に入った仏教経典は漢訳されたが、漢訳される過程で経典の意味や解釈が微妙に変化している。

 日本の仏教は、あくまで中国のフィルターを通した仏教である。

須弥山曼荼羅(19世紀 モンゴル)

 中国が輸入したのは大乗仏教であって、釈迦が開いた当初の仏教に近い上座部仏教(過去には小乗仏教と呼ばれた)は輸入しなかった。また中国では仏教に道教の思想が影響したりした。禅などはかなり中国化された仏教である。

 チベットは、インドと隣接していたため、原始仏教から上座部仏教大乗仏教密教を直接導入した。

チベット仏教の法具 金剛杵等

 インド仏教の経典は、パーリ語サンスクリット語で書かれていたが、一字一句チベット語に忠実に翻訳された。

 こうして翻訳された仏教の経(教法)、律(規範)、論(哲学)約6千点の仏教文献の集大成がチベット大蔵経である。

 チベット大蔵経はインド仏典の忠実な翻訳であるため、インドで消滅した経典でも大蔵経を読めば、ほぼ原形を確かめることが出来る。

チベット仏教の法具 金剛鈴

 また、大乗仏教の最終形態と言われる密教も、中国や日本には7世紀に成立した中期密教までしか伝来していない。

 弘法大師空海が唐から請来したのは、中期密教までである。

 インドでは、8~11世紀にヒンドゥー教の性力崇拝を取り入れた後期密教が成立した。

 チベット仏教はこの後期密教も取り入れた。インドでは後期密教イスラム教により滅ぼされてしまったため、後期密教を現在に伝えているのはチベット仏教のみである。

チベット仏教の仏像

 日本の密教宗派である真言宗は、密教顕教密教以前の大乗仏教)と区別し、密教顕教よりも高位にあるものと位置付けているが、チベット仏教では4つの宗派のどれもが初期仏教、上座部仏教大乗仏教密教を学び、密教を特別視していない。

 チベット仏教は、インドで成立した仏教の全歴史を忠実に導入した。チベット仏教はインド仏教の後継者であると言うことが出来る。

チベット仏教の仏像

 こうして仏教の全歴史を今に伝えるチベット仏教だが、モンゴル帝国が国教にしたおかげで、今もモンゴルやバイカル湖周辺のロシア連邦共和国内の自治共和国で信仰されている。またネパール、ブータン、インドのシッキム州でもチベット仏教が信仰されている。

 チベット仏教には、転生活仏制度がある。高僧が死後に転生して次の世でも人々を教えに導くという制度である。

現代モンゴル画家が描いた大威徳明王

 チベット仏教の指導者であるダライ・ラマは、この活仏の最高位で、観音菩薩の化身とされている。

 チベットは、1951年に中国共産党の軍隊である人民解放軍に侵攻され占領された。  

 1959年のチベット動乱以降、チベット仏教中国共産党政府に弾圧され、第14世の現ダライ・ラマは、インド領のラダックに亡命した。

現代モンゴル画家が描いた白ターナー菩薩

 日本の仏教は、霊魂のような死後の主体を認めていない。日本の仏教に親しんできた私は、高僧の霊魂が転生するというチベット仏教の教えをどうもすんなりと受け入れることが出来ない。

 チベット仏教を取り入れたモンゴルでも、1639年に僧侶ザナバザルが、チベット仏教の高僧タラナータの化身として初代活仏に認定された。

 当時のモンゴルとチベットは、清朝支配下にあったが、モンゴルの活仏は、清の冊封ダライ・ラマの承認を経て、モンゴルの政治、宗教の指導者として認められた。

1912年当時のウランバートル(イフ・フレー)

 今のモンゴルの首都ウランバートルは、1924年以前はイフ・フレーと呼ばれていた。

 活仏はイフ・フレーの中心にあったシャル宮殿に住んでモンゴルを統治した。

 シャル宮殿を寺院や僧院が取り囲み、イフ・フレーの人口の三分の一を僧侶が占め、一大宗教都市を形成していた。

 1921年モンゴル人民革命党は、ソ連の援助を受けながら、第8代活仏のボグド・ハーンを元首とする立憲君主国を設立する。

第8代活仏ボグド・ハーン

 モンゴル人民党社会主義政党であった。社会主義の思想では、宗教は支配者が貧しい人民を支配する際に人民に与えるアヘンとされ、非科学的なものとして排斥される対象だった。

 さすがの人民革命党も、長年尊敬されてきた活仏をすぐに排斥出来なかったが、1924年のボグド・ハーンの死去をきっかけに、活仏制度を廃止し、モンゴルを社会主義に基づく人民共和国にした。

チベット仏教の法具

 イフ・フレーはウランバートルと改称され、宗教施設は一掃された。

 モンゴルでは、人民革命党が1992年に社会主義一党独裁を放棄して民主化したため、社会主義時代にロシアや中国への侵略者とされてきたチンギス・ハーンの名誉が回復され、チベット仏教の信仰も認められるようになった。

 中国、日本、朝鮮半島大乗仏教の文化圏とすれば、東南アジアは上座部仏教の文化圏であり、チベット周辺とモンゴル周辺は、チベット仏教の文化圏である。

 アジアの一角に、豊饒な仏教文化が今も続いていることに、喜びを感じるものである。