沖田神社

 今年3月以来、久々に備前を訪れた。

 まず紹介するのは、岡山市中区沖本にある沖田神社である。

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沖田神社

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狛犬

 岡山市中区にある操山以南の、百間川旭川に挟まれた干拓地は、沖新田と呼ばれている。

 沖新田は、岡山藩直営の新田で、元禄四年(1691年)に岡山藩主・池田綱政が津田永忠に命じて開拓させた。

 津田永忠は、当ブログで何度も紹介してきた岡山藩重臣で、土木建築に才能を示した人物である。

 津田永忠は、田坂与七郎、近藤七助らを普請奉行に任命し、工事を施工した。翌元禄五年(1692年)に総面積1918ヘクタールの干拓地が完成した。即ち、沖新田である。

 沖新田の広大な田圃は、周辺の貧農に払い下げられた。干拓地には新たな集落が出来た。

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津田永忠陶像

 沖田神社は、元禄七年(1694年)に沖新田の鎮守として勧請された神社である。

 境内には、沖新田を完成させた津田永忠を顕彰する陶像がある。

 鳥居のすぐ脇の玉垣に、奉納者として津田永忠の末裔の名が刻まれていた。

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津田永忠の末裔が奉納した玉垣

 津田永忠の子孫は、未だ健在であるようだ。

 沖田神社の祭神は天照大神で、相殿に素戔嗚尊軻遇突智(かぐつち)命、倉稻魂(くらいなたま)命、句句廼知(くくのち)神を祀る。

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拝殿

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 拝殿前には、茅の輪が設置されていた。参拝者は八の字に茅の輪くぐりをしていた。私も倣って茅の輪くぐりをしてみた。

 社殿は比較的新しい。鉄筋コンクリートの土台の上に、木造の拝殿、幣殿、本殿が載っている。

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社殿

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幣殿と本殿

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本殿

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 拝殿の瓦の上には、金の鯱と金の鳳凰が載っていて、豪華絢爛である。

 境内には道通宮という末社がある。

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道通宮鳥居

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道通宮拝殿

 天正十年(1582年)、秀吉の備中高松城水攻めの際、城主清水宗治の次男長九朗が落城直前に逃走を試みた。
 その途中で、かねてよりよく信仰する道通宮に、「首尾よく逃れさせ給らば我家末代に至るまで鎮守として奉祀する」と祈願した。するとたちまち霊験顕れ、長九朗は一匹の白蛇に守り導かれて、 浅口郡西大島御滝山に無事逃れる事ができたという。

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道通宮本殿

 以来長九朗の子孫は、道通宮を鎮守として祀り、山麓に住居を構えて村民となった。
 4代の孫、伝兵衛の代になって、沖新田に転居し、名主として要職に就いたそうだ。

 その後、寛政十二年(1800年)に道通宮は沖田神社境内へ移され、同社の末社に加えられた。

 今では道通宮は開運の神様として尊崇されている。長九朗を導いた白蛇にあやかってか、本殿の下には、陶器の白蛇が奉納されていた。

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道通宮本殿下の陶器の白蛇

 道通宮の脇には、沖田稲荷神社がある。

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沖田稲荷神社

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陶器の狐

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沖田稲荷神社の彫刻

 沖田稲荷神社の祭神は、豊受姫(とようけびめ)命である。伊勢神宮の外宮の祭神で、穀物・食物を司る女神である。

 稲荷神である宇迦之御魂(うかのみたま)神と習合されて同一神とみなされている。

 当ブログでは、お稲荷さんにはあまり触れて来なかったが、この神様は日本の神様の中で最も霊力が強いと言われている。いずれ深く触れる時が来るだろう。

 確かに稲荷神の使いの狐はどことなくおっかない。

 沖田神社本殿の奥には、奥宮のように沖田姫神社が鎮座している。

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沖田姫神

 沖田姫神社の祭神は、おきた姫という女性である。

 沖新田開拓工事で、最後の潮止工事が難航した。工事の完成を願って、人柱として沈められた女性を祀っているのである。

 工事が上手くいかないからといって、人間を生き埋めにするなどというのは、理不尽極まりないことであるが、当時はまだこのような風習が残っていた。

 時代とともに、確実に理不尽なことは減ってきていると思いたい。

 境内には、明治24年に建てられた、開墾記念碑がある。

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開墾記念碑

 大理石製の立派な石碑だ。

 境内を出て、神社のすぐ脇を流れる百間川の堤防の上に出る。

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百間川

 百間川は、かつて「百間川 一の荒手 二の荒手」の記事で紹介したように、岡山城下を洪水から守るために津田永忠が施工した人工の放水路である。

 自然にできた川に見えるが、これが江戸時代に築かれた人工の河川ということに驚かされる。この川を築いただけでも津田永忠の業績は偉大だ。沖新田の水も、この百間川から取水されている。

 人工的に築かれた土地も、時と共に自然の中に溶け込んでくる。津田永忠の偉業も、今や何気ない風景の中に溶け込んでいる。