岩神寺の参拝を終え、岩上神社の社殿に向かう。
岩上神社は、岩神寺のある平地から更に急な石段を登った先にある。
石段を登りきると、目の前に幅広の拝殿が現れる。
拝殿は、桁行五間、梁間三間の広さで、内部は吹き抜けになっている。開放感のある拝殿である。
岩上神社は、天文十年(1541年)に、柳沢城主柳沢直孝が大和国の石上神宮から祭神布都御魂神の分霊を勧請して創建された。
岩上神社には、応安三年(1370年)の銘のある石上神宮旧蔵の鰐口が伝わっている。
鰐口は、通常は仏堂の正面に掛かっているものである。石上神宮も当時は神仏習合していた証だろう。
岩上神社の社殿は、大和国の龍田大社の旧社殿を移築したものと伝えられている。
拝殿の後ろに回ると、華麗な彩色が施された本殿がある。
本殿は、一間社隅木入春日造で、檜皮葺の屋根を持つ。
正面は格子戸になっていて、三方を高欄付の縁が巡っている。
斗供は四手先まで組まれており、尾垂木の先の象鼻が、開口した阿と閉口した吽の形になっている。
本殿は、平成15年に修復工事され、創建当時の姿に復元されたが、その際にこの本殿が18世紀半ばに再建されたものだと分かった。
しかし、建築様式としては、16世紀中葉の様式を残しているそうだ。
岩上神社の眼目は、これら社殿ではなく、社殿の上に聳え立つ神籬(ひもろぎ)石である。
本殿裏に、複数の巨石が固まっている。一番上にあるのが神籬石で、高さ約12メートル、周囲約16メートルの巨石だ。
拝殿の脇から、神籬石の近くまで行ける参道が通じている。
ここを登ると、神籬石の間近まで接近できる。あまり近づきすぎると、神籬石が写真に納まりきらない。
この神籬石は、岩上神社が創建される遥か前から神岩として崇められていたようだ。周辺からは、平安時代の素焼皿が見つかっている。古代から祭祀が行われた証だろう。
神籬石のある辺りは山上であり、北を見ると眼下に播磨灘と伊弉諾神宮周辺の陸地が見えた。
この岩上神社の周辺には、古代の巨石信仰の痕跡が多く残っている。
以前私は「南京町」の記事で、日本人のアイデンティティは日本の風土の中にあると書いたが、外国出身の人でも、こんな巨石を見て、神寂びた心境になれば、日本の文化を受け継ぐ資格のある人になったと言ってもいいと思う。
日本列島と古代からの神域が残る限り、日本は不滅であると感じる。