岡山県立記録資料館を出て、JR岡山駅に向かう。次なる目的地は、岡山市北区駅元町にある岡山シティミュージアムである。
岡山シティミュージアムは、ホテルやNHK岡山放送局、コンベンションセンター、レストラン、ショップが入ったリットシティビルの中にある。岡山の歴史に関する資料を展示公開している。
岡山シティミュージアムでは、「岡山城歴史絵巻」という企画展を展示中であった。
実は令和3年7月から、岡山城は令和の大改修と言われる改修工事中である。
昨年2月に岡山城を見学したが、つくづく工事前に見学出来て良かったと思った。
企画展で展示されている資料は、多くが岡山城内で普段展示しているものだった。
工事中の城内の展示品を、シティミュージアムに移したのだろう。
会場に入ると、岡山城の200分の1の復元模型があった。
元禄年間の岡山城の姿を再現しているらしい。
模型で見ると、大藩の城郭に相応しい威容である。岡山城は、昭和20年6月29日に空襲で焼けてしまったが、こればかりは本当に惜しい。
さて、シティーミュージアムには、1月14日の「オランダ通り周辺」の記事で紹介した、栄町鐘撞堂の5分の1の模型が展示してある。
この鐘撞堂は、寛文六年(1666年)に設置され、それ以降昭和8年まで約270年間に渡り岡山城下に時を報せ続けた。
昭和20年6月29日の岡山大空襲で、この鐘撞堂も焼けてしまった。
鐘撞堂に掛けられていた鐘が、割れた状態で展示されていた。
この鐘には、元禄十一年(1698年)に京都三条の鋳物師・藤原国次が造ったという銘文が刻まれている。
岡山市の曹源寺の鐘が、同じく元禄十一年に藤原国次が造ったもので、鐘撞堂の鐘と兄弟の関係にある。
曹源寺の鐘は、今も鳴らされている。鐘撞堂の鐘の音を聴きたいなら、曹源寺の鐘を鳴らしてみるといいだろう。
岡山シティミュージアムでは、同時に岡山大空襲に関する特別展が開催されていた。
写真撮影禁止だったので、写真では紹介できないが、日本中の文化財を灰燼に帰せしめた米軍の焼夷弾の精巧な模型などがあった。
岡山大空襲で、岡山の文化財の多くが焼失した。だが、岡山の文化がそのために滅んだかというと、そうではないと思う。
郷土の歴史に誇りを持ち、それを語り伝えようという気持ちが残っている限り、文化は滅びない。
日本の文化が滅びるか否かは、焼夷弾ではなく、我々にかかっていると感じる。