當勝神社の本殿は、安政六年(1859年)の再建とされている。
本殿には、拝殿のような濃密な彫刻は施されていない。本殿建築には中井権次一統は参加していないものと思われる。
その代わり、三手先まで組まれた斗栱と尾垂木が見事である。
屋根の重量を柱の上に集約する斗栱の構造の面白さ。それが同時に美的景観を生み出すところは、木造建築の醍醐味であろう。
「兵庫県の歴史散歩」下巻によると、本殿の柱には、台湾総督や逓信大臣を歴任した地元出身の政治家・田健次郎が、明治7年に19歳で故郷を離れた際に書いた落書きが残っているという。
しかし、その落書きを見つけることは出来なかった。
本殿の東隣には、當勝天神の社が建っている。
當勝天神は、学問の神様・菅原道真を祀っているのだろうが、當(まさ)に勝つという社の名前が如何にも御利益がありそうなので、受験生が捧げたと思われる絵馬が多数下がっている。
よく見ると、檜皮葺の屋根の上に、それを保護するかのように瓦葺の屋根が載っている。屋根だけの覆屋だろうか。
當勝天神の建物も、組み物に特徴がある。尾垂木や木鼻には、干支の動物と思われる種々の動物が彫られている。
よく見ると、猿や兔や鼠の彫刻がある。
當勝天神の彫刻はなかなかユーモア溢れるものである。この社の築造年代は分らないが、これらの彫刻にも中井権次一統の手が加わっているのかも知れない。
當勝神社の社叢は、粟鹿山の中腹に広がる森林である。
稲荷社への石段を見上げると、神寂びた杉の林が続いている。
私は山の多い地方に住んでいるが、山の麓には、大抵小さなお社と鳥居がある。
日本人にとって、山そのものが神様という考えは、すんなりと腑に落ちる。
数千年の間、鬱蒼とした山に囲まれた暮らしをしてきた日本人の文化の中に自然と生まれた考えなのだろう。