梅田春日神社

 国道173号線を北上し、京都府に入る。

 ついに我が史跡巡りも京都府に入ることになった。私が史跡巡りで訪れた府県としては、兵庫県岡山県鳥取県に次いで4つ目である。

 京都府は、日本で最も史跡の多い場所である。一生かけても、京都府の史跡を全て巡ることが出来るかは分からない。今回は、軽いジャブ程度の訪問だ。

京都府の歴史散歩」下巻

 私の史跡巡りの道標、歴史散歩シリーズも、これで5冊目になった。「京都府の歴史散歩」下巻には、丹波、丹後、山城南部、乙訓郡の史跡を載せている。

 丹波国の領域は、面積で言うと、兵庫県側が1/3で、京都府側2/3である。歴史散歩シリーズに載る兵庫県側の史跡はほとんど行ったが、まだ2/3残っている。丹波国制覇への道は遠い。

 国道173号線を進むと、国道9号線との交差点に至る。9号線を西進し、京都府船井郡京丹波町水原宮ノ下にある梅田春日神社に赴いた。

梅田春日神

 この神社は、文永年間(1264~1275年)に、大和の春日大社から春日大明神を勧請して創建された。祭神は、武甕槌神経津主神天児屋根命、毘売大神である。

 元々村にあった梅田神社を合祀し、梅田春日神社となった。京都府福知山市から兵庫県丹波篠山市にかけては、豪族細見氏により、同氏の祖先・紀氏を祀った梅田社が数多く建てられたが、この梅田春日神社に合祀された梅田神社も、おそらく細見氏にゆかりのあるものだろう。

本殿(左)と猿田彦神社本殿(右)

 境内には、本殿と、猿田彦神社本殿がある。猿田彦神社は、正中三年(1326年)に創建された。

 平安時代には、庚申という中国の道教の神様が日本に渡って信仰されるようになったが、日本では猿田彦命と習合された。庚申の申(さる)からのつながりであろう。

 この猿田彦神社は、地域の庚申信仰の中心的存在であったという。

本殿の覆屋

 梅田春日神社の本殿は、覆屋に覆われて保護されている。本殿は、江戸時代中期の建物で、京都府登録文化財である。

本殿

杮葺きの屋根

 屋根は杮(こけら)葺きだが、損傷が進んでいる。

 本殿は、桁行三間で唐破風付きである。

本殿唐破風

蟇股の彫刻

 この本殿で特徴的なのは、正面の木鼻の龍の彫刻の胴体が、虹梁となって本殿につながっていることである。

龍の木鼻と虹梁

斗供

 斗供の木組みも複雑だ。龍の彫刻は少々漫画的だが、こんなユーモラスな彫刻にはなかなかお目にかかれない。

脇障子の彫刻

 次に猿田彦神社を見てみる。猿田彦神社本殿も覆屋に覆われている。

猿田彦神社の覆屋

 猿田彦神社本殿の前には、庚申さんの使いの猿の人形、身代わり猿が数多く吊るされていて、本殿を覆っている。

猿田彦神社本殿

猿田彦神社本殿前の身代わり猿

 猿の人形に覆われて分かりにくいが、本殿は三間社流造である。

桁行三間の正面

 猿田彦神社本殿も、江戸時代中期の建物で、京都府登録文化財である。

猿の親子の銅像

 丹波方面を巡っていて不便に思うのは、私が住む西播磨から丹波に真っすぐつながる高速道路がないことである。

 福知山市なら、播但自動車道の和田山インターで降りて東に進めばいいが、京丹波町南丹市は本当に行きにくい。

 丹波の「攻略」には少し手間取りそうだが、私にとって馴染みの薄いこの地域に、どんな史跡があるのか、楽しみでもある。