北淡震災記念公園 前編

 貴船神社遺跡から県道を南下する。

 車で走って気づいたのは、播磨灘を見下ろす道沿いに、洒落たレストランやカフェが多数あることである。

 この前新聞記事で読んだが、平成26年明石海峡大橋の通行料金が下がったことで、多くの人が淡路島を訪れるようになったという。

 最近では、パソナグループのように、企業がオフィスを淡路島に移す動きもある。

 淡路島の魅力が世に広まりつつあるように感じる。

 淡路島の面白いところは、島時間を味わうことが出来る一方で、島にある程度の広さがあり、都市機能も充実しているところである。

 例えば四国ぐらい大きいと、島で過ごしているという実感は持ちにくい。淡路は大きな島ではあるが、そこで過ごせば、島にいる気分を味わうことが出来る。

 また、程よい広さがあるので、飲食店や各種店舗も豊富にあって、都市機能も備わっており、生活も不便ではない。淡路はかつて御食つ国であったが、新鮮な魚介類や野菜、淡路牛などの食材にも恵まれている。

 また阪神地域と高速道路で結びついていて、大都市にも出掛けやすい。

 働き方改革やテレワークの時代、今後淡路島がますます注目されるようになるのではないかと思う。

 さて、今日紹介するのは、淡路市小倉にある北淡震災記念公園である。

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北淡震災記念公園

 平成7年1月17日午前5時46分に発生した、阪神・淡路大震災震源地は、明石海峡の地底だった。

 震源に近い野島断層が動いたことで地震が起きたが、旧北淡町地区では、約10キロメートルに渡って断層のズレが地表に現れた。

 淡路市小倉に現れた野島断層のズレを、そのまま屋根で覆って保存したのが、野島断層保存館である。野島断層保存館を中心にして、北淡震災記念公園が整備された。

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北淡震災記念公園案内図

 阪神・淡路大震災は、日本で初めて震度7が記録された大地震で、死者6434名、行方不明者3名、負傷者43,792名を数えた。東日本大震災が発生するまで、戦後で最も被害が出た地震であった。

 私は阪神・淡路大震災が発生したとき21歳であり、兵庫県外にいたので、凄まじい揺れは体験しなかった。

 震災発生後の平成7年3月に、JRの新快速で西播磨から大阪に行ったが、車窓から外を眺めていると、明石の辺りから急に屋根にブルーシートを被せた民家が目立ち始めた。

 電車の窓から外を眺めていた乗客皆が、その情景を見て、「ああ」と嘆息をするような様子だったことを思い出す。

 その震災ももう26年前のことで、発生から四半世紀が経った。もはや歴史の中の出来事になりつつあるが、日本の防災のあり方を変えた地震であり、その教訓は現代にも生かされている。

 ところで北淡震災記念公園の桜も美しかった。また今年も桜を見ることが出来た。

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北淡震災記念公園の桜

 公園の一角には、震災で亡くなった旧北淡町民の慰霊碑と、鎮魂のためのモニュメントである「べっちゃないロック」がある。 

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阪神淡路大震災犠牲者慰霊碑

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べっちゃないロック

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 播州の方言で、「別条ない(大丈夫)」ということを、「べっちょない」と言うが、北淡地域では、「べっちゃない」というのか。震災に負けない気持ちを現わしているのだろう。

 野島断層は、現在ズレが地表に露出した約185メートルが国指定天然記念物となっている。野島断層保存館では、その内約140メートルを屋根で覆って保存している。

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野島断層保存館

 上の写真のように、野島断層保存館は、長大な建物である。

 野島断層保存館には、保存された断層だけでなく、阪神・淡路大震災の被災状況を写した写真や、その他様々な震災に関する資料が展示されている。

 建物に入ってすぐ目に飛び込んでくるのは、震災で倒壊した阪神高速道路と横転したトラックを再現した巨大ジオラマである。

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倒壊した阪神高速道路ジオラマ

 また、震災の被害状況を写した写真は、この地震の被害の甚大さを伝えてくれる。

 阪神・淡路大震災では、古い木造建築の民家が多く倒壊した。筋交いの少ない古い民家は、震度7の揺れに耐えられなかった。

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北淡町富島地区

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北淡町富島地区の被災状況

 屋根瓦の重みに耐えられなくなった古い木造民家は、全壊していった。

 神戸市長田区を中心に、倒壊した木造民家から火災が発生し、広範囲が焼けてしまった。

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炎上する神戸市兵庫区

 当時テレビに映った神戸市街の火災の様子は、衝撃的な光景だった。

 また、震度7を想定せずに建てられた高速道路や鉄道の高架は倒壊し、都市機能はマヒした。

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倒壊した阪神電車の高架

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倒壊した阪急伊丹駅

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倒壊した阪神高速道路

 道路と鉄道が寸断され、救助車両が現場に来るのも難航したことだろう。

 阪神・淡路大震災発生前に建てられたビルは、今ほどの耐震設計がされていなかった。

 ビルの間の階が丸ごと潰れてしまったというケースが続出した。

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5階が崩れた神戸市立西市民病院

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倒れてフラワーロードを塞いだビル

 震災の発生日のテレビ映像で驚いたのは、ビルが根本から倒れて、三ノ宮駅前のフラワーロードを塞いでいる様子であった。

 震災後しばらくしてから神戸を訪れると、あちこちの電信柱やビルが傾いていて、どれが本来の垂直方向に立っている建物なのか分からなくなったのを覚えている。

 阪神・淡路大震災後、日本全国の古い校舎やビルなどが、耐震補強工事を受けた。

 また、震災では史跡も打撃を受けた。神戸市を象徴する生田神社の拝殿も倒壊した。

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倒壊した生田神社拝殿

 写真を見ると、生田神社の本殿は倒れなかったようだ。震災の中、凛として建つ本殿の姿が頼もしい。

 昭和23年に発生した福井地震までは、気象庁の定めた震度階級は0から6までだった。甚大な被害が出た福井地震を受け、震度6では地震による被害を適切に表現できないとの意見が出て、家屋の倒壊が30%に及び、山崩れ、地割れ、断層が生じる揺れを震度7とした。

 阪神・淡路大震災は、初めて震度7が適用された地震である。震度7が適用された地域を赤色で図示したパネルがあったが、北淡地域、神戸市から西宮市までを帯状に覆っている。

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震度7の揺れが襲った地域

 これだけ広範囲のエリアで、建物の30%が倒壊したのだから、恐るべき災害である。

 残念ながら、このような災害が再び日本のどこかを襲う可能性は高い。

 首都直下地震南海トラフ地震への備えを促す広報は、常になされている。

    日本では、世界の地震の10分の1が発生していると言われている。近年地震以外の災害も多発傾向にある。日本列島に住む以上、災害のことは常に頭の片隅に置いておくべきであると思う。