4月20日に丹後の史跡巡りを行った。
丹後は、播磨、備前、美作、摂津、但馬、因幡、丹波、淡路、備中、讃岐に次いで、私が史跡巡りで訪れた11番目の国になる。
福知山市大江町は、平成18年1月1日に福知山市に合併されるまで、加佐郡大江町であった。
国道175号線沿いの福知山市下天津と福知山市大江町日藤(ひとう)の境には、丹波、丹後の国境石がある。
そう古くはない国境石だ。
ここから北に行くと、丹後国である。
丹後で最初に訪れた史跡は、福知山市大江町南山にある真言宗の寺院、室尾谷山観音寺である。
観音寺の創建は、和銅七年(714年)で、開基は行基菩薩であるという。
行基自ら、室生寺の本尊の余木を削って本尊十一面観音菩薩像を彫刻し、安置したのだという。貞永二年(1233年)に蓮乗上人が中興開山した。
最盛期には十一坊を数える大寺であった。
参道に入ってしばらく行くと、仁王門がある。
仁王門に安置された仁王像は、蓮乗上人が中興した貞永二年(1233年)に新造されたものだと伝わっている。
力強い筋肉とスピード感のある衣文の彫が、鎌倉時代の特徴を表している。
仁王門の先は急な坂道になっている。
坂の上に向かって、様々な建物が並んでいる。
仁王門を潜ってすぐ右手にあるのが、本坊である。僧侶の居住空間だ。
本坊は、入母屋造の立派な木造建築である。
この本坊の隣に、霊牌堂がある。
霊牌堂の蟇股には、翼を生やした龍の彫刻が刻まれている。
翼を生やした龍は、西洋のドラゴンのようである。こんな彫刻は初めて見た。
霊牌堂の前には、子供を抱いた弘法大師の石像、子安大師がある。
弘法大師空海のような宗教的偉人が、子供好きだったとしたら、ちょっと心温まる気がする。
本坊から坂道を上がると、今度は左手に櫓のように石垣の上に建つ収蔵庫が見えてくる。
観音寺には、福知山市有形文化財の絹本著色孔雀明王像、絹本著色十一仏画、丹後室尾谷山観音寺略年代記、丹後加佐郡河守之内南山分室室谷寺御検地帖、観音寺文書、丹後加佐郡河守之内二又村御検地帖などの寺宝がある。
収蔵庫には、これらの寺宝を収蔵していることだろう。
収蔵庫の隣には、別院がある。
観音寺には、近年まで金剛院、明王院、安養院という別院があったが、いずれも観音寺に合併された。
現存する別院の建物も、これら別院のいずれかの建物だろう。
別院の庭には、紫色の牡丹が咲いていた。
鮮やかな牡丹を眺めて、しばし浮世の喧騒を忘れた。