備中国分尼寺跡から北西に歩いていくと、茅葺屋根の建物が見えてくる。
総社吉備路文化館の敷地内にある旧山手村役場と旧松井家住宅である。両方とも国登録有形文化財になっている。
山手村は、かつて岡山県都窪郡にあった村である。平成17年3月22日に総社市に合併されて消滅した。
この建物は、風早雲嶂(かざはやうんしょう)という医師が、幕末から明治初期にかけて自宅として建てたものである。
風早は初代山手村長となった。風早の死後は、山手村がこの建物を購入し、明治35年から昭和43年まで66年間に渡って山手村役場として使用した。
こんな建物が、戦後になっても村役場として使われていたというのが驚きだ。
かつてこの建物は、現在総社市役所山手支所がある場所に建っていたが、昭和47年に現在地に移築された。
建物に入ると土間があり、奥に台所がある。台所には竈が設置されている。
昭和43年まで、この竈は使われていたのだろうか。
土間や台所から奥を見ると、畳の部屋が続いている。
昔ここで村役場の職員が仕事をしている情景を思い浮かべた。
旧山手村役場の前には、旧松井家住宅がある。
この建物は、かつて岡山市沼の旧山陽道沿いにあった、江戸時代の茶屋である。
茶屋とは、街道筋で旅行者に昼食や茶、菓子を提供した休憩所である。
江戸時代後期の建築で、茅葺入母屋造である。当時の基本的な民家の姿を留めている。
土間には小さな竈がある。
先ほどの旧山手村役場と比べれば、小規模な建物だ。
竈の側に板の間がある。昔の日本家屋は、台所に隣接するスペースは板の間になっている。
出来上がった料理を先ずここに運んで盛り付けたのであろう。
旧松井家住宅には、板の間の他に、4.5畳、6畳、3畳の和室があるのみである。
一目で家の部屋全部を目に納めることが出来る。
私には、こんなささやかな平屋を海の見える場所に建てて過ごしたいという密かな夢がある。
さて、旧松井家住宅から北に行くと、総社吉備路文化館がある。
総社吉備路文化館は、旧岡山県立吉備路郷土館の建物を再利用して平成26年にオープンした資料館である。総社市が所有する美術品などを展示収蔵するための施設である。
この日は特別展として、同館が所有する版画の展覧を行っていた。写真撮影は禁じられていなかった。
展示されていた作品の中で私が好きな川瀬巴水の版画を紹介する。
川瀬巴水は、大正昭和期に活躍した浮世絵師、版画家である。近代風景版画を確立した人物で、海外では葛飾北斎や歌川広重と並んで人気がある浮世絵師だそうだ。
川瀬巴水の作品を見ると、空襲を受ける前の東京が、江戸から連続した町であったことがよく分かる。昭和初期の日本も、まだ浮世絵的な世界にあったのである。
またここには、総社市出身の書家で、文化勲章受章者の高木聖鶴の書が常設展示されている。
こちらは写真撮影不可であった。
今日紹介したような建物が建ち並ぶ風景や、川瀬巴水の版画のような世界は、日本からほとんど失われてしまった。
かといって、現代人が土間や竈のある家で生活することは無理だろう。時代の変化と共に住宅や建物は変化する。
変化するものの中で変わらぬものが何かを見据える力が、歴史を観ることには求められる。