日本・モンゴル民族博物館 その4

 日本・モンゴル民族博物館の奥の「モンゴル高原の暮らしと文化」コーナーに入る。

 ここには、モンゴルの遊牧民の移動式住居ゲルが再現されている。

ゲル

ゲルの内部

ゲルの屋根

 ゲルは折りたたみ可能な木製の格子に羊毛で編んだフェルトを被せて作るテントのようなものである。

 移動時には屋根を外して折りたたみ、ラクダやトラックに載せて移動する。

 モンゴル帝国が成立した後も、ハーンは贅沢な宮殿など建てずにゲルに好んで住んだそうだ。

 現代でも、首都ウランバートルに固定家屋を構えて定住する人たちの中にも、庭にゲルを置いて敢えてそこで生活する人が多いという。遊牧民にとって、ゲルは落ち着く場所なのだろう。

 モンゴルで主流となる宗教はチベット仏教である。モンゴル帝国時代に、帝国がチベット仏教を国教とした。

ゲル最奥の仏壇

 モンゴルが社会主義の人民共和国だった時代には、仏教は徹底弾圧を受けていたが、現在は信仰も復興してきている。

 ゲルの入口の正面奥は、建物の中で最も神聖な場所で、ここに仏壇が備えられる。

 ゲルの中央には炉が置かれ、暖を取ったり料理に使用される。

中央の炉

ゲルで就寝する子供

 日本では引きこもりが社会問題となっているが、草原の中に建てた部屋割りのないゲルで生活すれば、物理的に引きこもることは不可能だと思う。
 さて、遊牧民の財産は家畜である。モンゴルの五大家畜は、馬、ラクダ、山羊、羊、牛とされているが、ラクダは飼育が難しく、近年ラクダを飼う牧民は減ってきているという。

山羊と羊

 羊、山羊は食用、搾乳用として飼われ、羊毛はゲルを覆うフェルトとして使われる。毛皮は防寒用の衣服になる。また羊の糞は燃料になるし、冬には乾燥させてゲルの下に敷き、断熱材として使われる。

 羊が最も多く飼われる家畜である。これらの家畜に餌を与え、繁殖させ、太らせるために、遊牧民は1年の間草原を移動することになる。

 馬は乗用、荷物運びだけでなく、食用にも使われる。馬の乳を使って夏には馬乳酒が作られる。馬肉の脂は凍らないため、冬には体力を維持するために食べられるという。

遊牧民の春夏秋冬の宿営の様子

 上のジオラマは、春夏秋冬の遊牧民の宿営の様子を再現している。

 遊牧民は、2月下旬から3月に春営地に移動する。春は家畜が出産する季節である。水があり家畜が枯草を食べられる場所に移動し、子羊を出産させる。

 春は、冬用の備蓄食料が底を尽き、家畜もやせ衰える苦しい時期である。

モンゴル女性の装飾品(19世紀のもの)

 6月頃に夏営地に移動する。夏は水辺が近くにあり、草が豊富で風通しがいい場所に移動する。

 夏の間に家畜に草をたっぷり食べさせて太らせる。また夏の間に搾乳し、乳製品を造る。乳製品の製造は女性の仕事になる。

 8月下旬に秋営地に移動する。冬営地に近い草の良い場所に移動する。11月になると、冬用食料として必要な分の家畜を殺害し、解体した肉を氷点下となった屋外に置いて保存する。

 また干し草を準備したり、冬の間の燃料となる家畜の糞を集める。

モンゴルの食事

 モンゴルの食文化は、「白い食べ物」と「赤い食べ物」が主流である。家畜の子供が生まれる春から秋にかけては、家畜がよく乳を出すので、乳製品が主食になる。これが「白い食べ物」である。夏には肉が腐ってしまうので、特別な時でない限り家畜は殺さない。

 秋から乳の出が悪くなるので、夏の間に太らせた家畜を殺して肉を食べるようになる。10月には屋外が氷点下になるので、肉の保存が可能になる。冬には備蓄した肉を食べる。これが「赤い食べ物」である。

モンゴル刀(19世紀のもの)

 モンゴルでは、食事は夕食のことを指す。朝と昼はお茶に乳製品をかじる程度だという。

 12月上旬に冬営地に移動する。降雪の少ない岩場の南側が選ばれる。屋外は氷点下30度にもなる。乾燥した家畜の糞を地面に敷いて断熱材にし、その上に板材を渡し、絨毯を敷く。ゲルのフェルトも二重にする。

 冬には、保存食である肉を食べ、家畜には秋に準備した干し草を食べさせる。

 こうして見ると、モンゴル高原の遊牧生活は、自己完結した自給自足生活で、いわゆるエコロジーな生活スタイルである。

モンゴルの民族衣装

 日本の歴史は、農耕民の歴史である。財産は、農作物が生みだされる土地で、民衆が朝廷や幕府に収める租税も農作物だったし、大名の経済力や軍事力も収穫される米の石高で示された。

 農作業に使われる灌漑施設や溜池が重視された。

 モンゴルは寒すぎて農業に不向きなので、遊牧が生業になった。ここでは土地は家畜の餌になる草が生える場所に過ぎず、財産は土地ではなく家畜であった。

 こうして見ると、同じ人類でも住む場所の気候風土で世界観や歴史が天と地ほど変わることが分る。

 逆に言うと、環境に適合して様々な生活スタイルを生み出す人類の柔軟性に驚嘆する。